マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

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カテゴリ:大阪・三大城下町日記( 49 )


2017年 12月 10日

みんなでお城になりました~笑顔の高槻城!~

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昨日、2017年12月9日(土)昼ごろ。
「子ども夢企画」(第一中学校区地域教育協議会(つばさネットワーク)主催)
しめくくりに、人文字?で高槻城を描きました。

高槻城公儀修築400年の今年、市役所はいろいろ記念企画をなさっています。
市民(特に地元城下町の)もなにかやっておくべきだと思っていました。
今回は主催者の中学生のみなさんを中心として、とてもすばらしい企画を実現してくださいました。

とにかく、地元城下町の子どもたちにとって、よい思いでになってくれたらいいな。
終局的には、これに尽きます。
ちいさなお子さんにとっては、これがなんだったのか、のちにわかってもいいと思います。
高槻が城下町であることを、いつも覚えていてほしい。

みんなでよいお城になれましたね。
笑顔いっぱいの。
これまでに見た中で、いちばんの城でした。

現地では縄張りを少しお手伝い。
全体のプロポーションについてはメリハリに気をつけ、
あとは、てっぺんにツノ(しゃちほこ!)を付け足しました。
(しゃちほこがあるのとないのとではまったく違う、はず)
縄張りのあと、校舎の4階に上がり、全体を見守りました。
はじめのイメージよりも、はるかにすばらしい。
正面からの写真はほかのみなさんにお任せして、
ここではすこし斜めからの写真をご紹介します。

教育協議会のみなさん、先生方、連合自治会のみなさん、
参加してくださったみなさん、
市広報室としろあと歴史館のスタッフのみなさん、
メディア関係のみなさん、
ほんとうにありがとうございました。
そして、がんばってくれた生徒さんたち、ほんとうにありがとう!


公儀修築400年記念の企画、かなり出遅れてのスタートでした。
はじめのスケッチhttp://fukei.exblog.jp/24422595/(城の人文字とかお堀端キャンドルとか)が6月。
それから半年後に人文字が実現して、キャンドルは年越しになります。
大阪三大城下町サミットとか、いつのことになるでしょうか。

これからもよろしくお願いします。


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by ti-ao | 2017-12-10 22:21 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 08日

高槻城についての講演会

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高槻地区ふれあい文化祭で高槻城についての講演会があります。
日時:2017年11月12日(日)午後1時から
場所:城内公民館(高槻市城内町1 市立第一中学校北隣)
講師:高槻市立しろあと歴史館の学芸員さん
主催:高槻地区連合自治会
(無料)
今年は高槻城築城(公儀修築)400年記念の年です。
6月には二の丸周辺堀の発掘調査現地説明会もありました。
今回の講演会でも興味深いお話が聞けることと思います。
よろしければご参加ください。

実は6月に連合自治会からマチヤ・テラスに、
「今年も文化祭に参加しませんか」とお誘いいただきました。
その話し合いの場で、「今年は築城400年で発掘調査もやっていることだし、
専門の方に講演などしていただけないだろうか」というお話が出ました。
いっしょに活動してくださっているKさんがしろあと歴史館との調整に乗り出し、
今回の企画が実現しました。

こうして地元市民のみなさんが築城400年記念になにかなさるのは、
とてもよいことだと思います。
築城400年の企画はまだこれからです。
いろんなところでいろんなひとがいろんなことをやって、
高槻城築城400年をお祝いすればよいのだと思います。
それが高槻らしさ再発見につながるはず。

連合自治会のみなさまとは今後も城下町のためにご一緒できればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
(まずは今年の文化祭がうまくいきますように!)

Kさん、お疲れさまでした。
またよろしくお願いいたします。

写真はちょっと前の二の丸附近の様子。
まるで堀が復活!したかのよう。
左端に城内公民館(今回の会場)が見えています。


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by ti-ao | 2017-11-08 21:53 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 31日

やっとの秋空ほっとする~高槻城下にて~

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打合せのはしご。
とことことことこ。
高槻の城下町を歩く。

それにしても、ようやく秋らしい空。
(こうでなくっちゃ)

(2017年10月30日)


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by ti-ao | 2017-10-31 22:10 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 10月 27日

高槻城の高月~堀の跡にて~

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ひゆひうと雲は流れるが、月は流れず。
水の月と空の月、いっしょに写したかったけど、
いっこうに距離が縮まらない。
高い月。


二の丸前の堀。
発掘調査の後、埋め戻されたけど、長い長い雨で水たまり。
まるで堀が復活したかのようですね。


かつて、堀の向こうは二の丸でした。
さらに向こうには本丸、天守があったのでしょう。


堀端でしばし月を見ながら城を思うのでした。


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by ti-ao | 2017-10-27 23:06 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 30日

ヒカリをつなぐ~高槻城下町300歳町家にて~

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晴天の町家。
高槻城築城400年記念企画について話し合い。
そういえば横山家住宅は築300年近くだから、
高槻城の公儀修築から100年後には、
「すでにここにあった」のですね。
はぁ、なんか感慨深いな。
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by ti-ao | 2017-09-30 18:31 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 09月 24日

高槻城の今~江戸時代公儀修築から400年の記念企画~

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高槻城二の丸を囲む堀のあたり。
6月に発掘調査の現地説明会がありましたが、
今はほぼ埋め戻されています。
やはり、この下には江戸時代や戦国時代の遺構が眠っていました。


公儀修築から400年の今年、なにかできたらいいですよね。
「高槻城築城(公儀修築)400年企画」。
実は以前から少しづつ話をはじめています。
またお知らせしたいと思います。
よろしくお願いします。


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by ti-ao | 2017-09-24 23:03 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 08月 08日

台風一過の高槻城下町

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ついでに私も通り過ぎました。
今日は建築関連法規の確認であわただしく。
江戸時代までなら高槻城に法に関する用向きで出向いたとすれば、
今の役所は城の代わり?
むかしの人もあわただしく城下町を行ったり来たりしたのかもしれませんね。
私もむかしの人たちと同じように城下町を歩いているにすぎない。
そう思うとなんだかおもしろい。


さて、仕事に戻ります。


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by ti-ao | 2017-08-08 21:12 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 06月 03日

高槻城二の丸跡北辺部の発掘調査 現地説明会へ~高槻城築城400年祭!?~

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高槻城二の丸北辺部の発掘調査。
ずっと気になっていました。
今日2017年6月3日(土)午前、現地説明会(高槻市教育委員会主催)。
知人に教えていただいて行ってきました。
高槻城は江戸幕府による公儀修築から400年。
まさに築城400年祭!(そんな祭はない?)のような年なのです。
高槻城への関心の高さ。ものすごい見学者の数でした。
概ね私よりご年長のみなさんだったようですが、中には結構若い方たちも。
すばらしい。


現地は今。
三の丸と二の丸の間の堀がすっかり表にあらわれている感じ。
先週の夕立で堀が一時的に復活したような状況になったとか。
いっそ、このまま、堀のままにしておいてほしいぞ!
雨水貯留施設を設けるようですが、堀を活用してそれに充ててもよい気がします。
堀に雨水を貯留した際、流出させるまでに雨水によって遺構が乱されるとか、
土地利用(配置計画)上の事情とか、課題はあると思いますが、
そのくらいの工夫はできるのではないでしょうか。
(貯留槽の容量が足りなければ、もっと堀を復元するとか?しめしめ・・・)
これはわが敬愛なる高槻市のみなさまへのご提案です。


堀の発掘現場から天守があったあたりを見てわくわく。
不明門akazunomonの基礎廻りや修築工事のための仮設土橋の跡が出て、
それと戦国時代の堀跡が江戸時代の堀跡の底から出てきたらしい。
仮設の橋ってゆうのが建築屋としてはおもしろいなと思いました。
(今と根本的にはやること考えることはおんなじってことかな)
戦国好き、高山右近公ファンとしては、戦国期の遺構はたいへん興味深いです。


堀を埋めていた土はもしかすると本来の城郭内部の嵩上げされていた
(あるいは元々丘のような地形だったのか)部分の土!
ではないのかなという気がするのですが、どうなのでしょうか。
どうせ堀を埋めるんなら、その手前にある丘みたいな郭内の土を切って埋めるのでは。
だとすると、今、敷地内に積み上げられている土って案外、意味があるのかも。
(例えば本来の二の丸の土だったとか、なにかいっしょに埋まってたとか)
(聚楽第と同じ文様の瓦は出土したようです)
まぁ、このあたりは専門家のみなさんがしっかりお調べになっている。
いつかあらためてお聞きしてみたいです。


行政がその気になったらすさまじいと、いつも思っていますが、
今日もそれを目の当たりにしたした気がします。
よい現地説明会だったと思います。
スタッフのみなさま、ありがとうございました。
今後の調査継続とよりよい高槻城復活に期待しています。


そして、帰りは高槻城と切っても切れない城下町へ。
300歳町家は陰影くっきり、佇んでいました。

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by ti-ao | 2017-06-03 16:52 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 30日

大人(プロ)たちの小遠足2(真田丸トコトコ+プチ・ヘリテージ・カフェ)

2017年5月28日(日)空が青い。
くっきりした影を見ながら歩く。

清水谷。
この日いろいろ教えてくださった文化財専門のお方によると、
あたり一帯はかなりの谷だったらしい。
大坂城南側には空堀があり、惣構えの外郭線を形成していた、
ということはこのごろ案外知られていると思います。
その空堀は清水谷の地形を活かしているようです。
谷底、つまり、空堀の跡は埋め立てられて、現在では幹線道路が走っている。
高低差が減じられたはずですが、それでも周辺はかなりの勾配。

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真田丸があったと言われるあたり、高校とお寺の間、心眼寺坂。
ここから北を見るとずっ~と下っている。
きっと彼方に大坂城天守がそびえていたはずです。
「太閤殿下~!秀頼さま~!」と叫ぶのでありました。
(心の中で)


昨年、真田丸ブームに乗って発見された(のか?)浅野家(確かそのはず)の絵図面。
その真田丸の表現についてどう考えるか、専門家の間ではかなり議論があるようです。
ともあれ、真田丸は大きくはこの心眼寺あたりと三光神社あたりの2つの郭があったようです。
大阪城天守からは少し離れている。
しかも空堀、清水谷で城から隔たれている。
もはや、出丸というより突出した独立性のある出城か。
こうして天守の位置を意識しながら真田丸を歩くとそれが感ぜられます。


真田丸発掘調査跡地。
昨年初冬ごろ、国営放送の番組でも取り上げられましたが、
その時の調査を担われたのがこの日の先生でした。
発掘などの裏話も伺いながら、まだまだ歩きます。

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真田丸から北上し、大坂城へ向かうと、右手に大阪女学院。
チャペルが登録文化財になったということです。
外観はシンプルですが、開口のバランスがよく、細部意匠に心配りされています。
うつくしい建築だと思いました。
その正門前の坂は歩道がひろく、心地よい。
この坂が清水谷の北側法面ということでしょう。
真田丸あたりからの北向きの法面、このあたりの南向きの法面。
清水谷がいかに横断方向に長い、つまり、幅の広い谷であったか、
それを歩いて実感できました。

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3月に続いてカトリック教会へ。
歩道際の植栽帯に、細川ガラシャさまと高山右近公の説明プレートがありました。
そして、越中井(細川越中守の屋敷跡に残る井戸)にて一度解散です。

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そこからは、大阪歴史博物館1階アトリウムのカフェへ。
「プチ・ヘリテージ・カフェ」。
よく歩いたあとのビール、ではなく、珈琲。
そして、おもしろいお話。
ほんとうにごちそうさまでした。


ところで、
この日の文化財の先生、今から師匠呼ばわりすることに決めました。
(日本語の用法間違ってる・・・)
その師匠からこれもお聞きしたのですが、
徳川方は大坂城の惣堀を埋めるのに粘性土を使ったらしいのです。
なんとも念の入った。
これでは豊臣方が掘り返して堀を復元するのが難しかったでしょう。
日本人らしいまめさというか、意地ワルというか、堀を埋める時まで丁寧。
それに、打ち壊した城の構造物のガラなどで乱暴に埋めてしまうよりは、
後の土地利用を考えると、ちゃんと埋めた方がよいですね。
徳川方はそこまで考えていたのでしょうか。
ちなみに現在は、堀を埋めた土地にビルを建てる時、
杭の支持層をその粘性土より下の地層に求めることになりますが。


大阪府教育庁のみなさま、ご参加くださったみなさま、
夏みたいな空の下、ありがとうございました。
おかげさまでよい小遠足になりました。
そして、この長い日記、お付き合いくださってありがとうございました。


帰り道、地下鉄に降りる階段で、なぜか祇園精舎の鐘の声を聞いた気がしました。
ふしぎ。



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by ti-ao | 2017-05-30 22:06 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 29日

大人(プロ)たちの小遠足1(真田丸トコトコ+プチ・ヘリテージ・カフェ)

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2017年5月28日(日)めっちゃ晴れ。
大阪三大城下町めぐり、今日は大阪。真田丸あたりを歩く。
まずは、三光神社にお参り。
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神社の木蔭。
大阪府教育庁文化財保護課のお方から真田丸や大坂城のお話。
ご用意くださった資料を含めとても興味深く、屋内での講座もお願いしたいくらいです。
かなり気軽で気さくなまち歩きですが、お話の内容は完全にプロ。
しかもとてもわかりやすいお話でした。
神前、お騒がせした?ので、ご神職にごあいさつの後、いよいよ真田丸の中心を目指します。

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ところで、
有名な「真田の抜け穴」、と言われる横穴。
方角的には真田丸のまん中あたりに向かっている気がします。
もしも直進しているなら。
ひょっとすると、真田丸周辺や大坂城周辺、いくつかの抜け穴をはしごすることで、
複数のルートから最善のものを選択しながら移動できたのではないでしょうか。
あるいは、
穴は寄せ手(攻城)側が掘ったものかもしれない、という話もある、と聞いたことがあります。
その場合は大坂冬の陣の見せかけの講和後に掘られたということになるはずです。
徳川方は大坂城の堀を埋めながら、攻城用の横穴もほぼ同時に掘りすすめていたのかもしれません。
豊臣家、不満分子、浪人、キリシタン(背後の欧州列強)・・・
幕府を開いたとはいえまだまだ危険な要素が残っている。
徳川家康は高齢であり、相当に焦っていた可能性がある。
大坂城を落とせば、複数の危険な要素が除外できる。
それと、千姫。
徳川側は千姫をどのくらい本気で城から救い出したいと思っていたのでしょう。
千姫が抜け穴を通る可能性だってあったのではないでしょうか。
千姫の目線から描かれたお話も興味深いはず。
などなど、
抜け穴を見ていると、いろんな想像をしてしまいます。


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by ti-ao | 2017-05-29 23:03 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)