マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

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2011年 04月 30日

伝えたいこと

むずかしいかもしれないが、
ひとつわかりやすいことを言おう。

卑怯なことをするな。

それは自らにマイナスの感情を生む。
くり返せばマイナスをためこんでいく。
自らのよさをころしてしまう。
せっかく、君にはよいところがあるのに。
(なぜ、それをのばそうとしない)

卑怯なことは、案外ひとも見ているか、
気付いているものだ。
あいつは卑怯な奴だ、そう思われる。
自らそう思う。
それはさらに人を卑怯にしていく。

人は弱い。
誰でも、時にはそうなりかけることがある。
しかし、
ひとの中で生きたい、あるいはひとのために立ちたいなら、
正しいことを言いたいなら、
卑怯であってはならない。
今ならまだ、若さがあるうちなら、どちらへも行ける。

君と、そしていつも迷っている私自身へ。
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by ti-ao | 2011-04-30 01:29 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 25日

四月のマチヤ・カフェ+マチヤ・トコトコ

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「四月のマチヤ・カフェ+マチヤ・トコトコ」
日時:2011年4月30日(土)午後1時30分~4時
場所:横山家住宅(横山医院町家・町愛室)
   (高槻市城北町1丁目)
内容:
「マチヤ・カフェ」 午後1時30分~
・語らいや交流、町家の情報交換の場です。
 (店ではありません)  
・今回は紅茶をお出しする予定です。
 マイカップ持参でおいでください。

「マチヤ・トコトコ」(未定)
・まっぷ冊子「マチヤ・テラス通信 2010 夏号」を持ってまち歩き。
 実際にまっぷに描かれた家々を訪れて冊子をお届けしたり、
 町家の外観調査をしたりするかもしれません。
 

岩手にいる間に、大阪の花の盛りを逃しました。
でも、葉桜もきれい。
目にしみるというか。

そろそろ地元のこともしっかりしなければ。

先日、帰阪のあいさつに行った堂島ムジカ。
お茶っ葉を買って帰ろうと思ったら、
オーナーさんがご提供くださいました。
ありがとうございます。
さっそく、みんなでいただきたいと思います。
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(スケッチは岩手行きの前、ムジカさんにて)
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by ti-ao | 2011-04-25 01:07 | 町家情報窓口(マチヤ・カフェ) | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 24日

支えるものを支える~岩手のこと・おまけ編2~

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岩手に入った初日。
遠野まごころネット」のお手伝い。

例えば、
遠野まごころネットのみなさんが、被災家屋の掃除をする。
その後で、建築士会釜石支部がその家の危険度の調査をする。
結果、補修しても危なくて住めない、というケースもあり得る。

どちらも同じ大槌町、釜石市を主な活動エリアにしています。
同じまちで内容的に絡みのある活動をしている。

お互いの日程と内容を調整して活動に取り組む、というのは、
今の状況では無理があり、
お互いが要請のあった家に各個出向いて対応するしかない、
という結論になりました。
これは妥当だと思います。

ただし、同じ町で活動している者同士、
お互いに相手の活動内容を理解し合い、
必要があれば連絡を取り合うとか、
自分たちが訪問して活動したお宅の人に紹介する、
とかいう連携はあってよいと思います。
実際にそういうケースがありました。

それと、
大槌町で、津波で浸水した住宅の床下の泥を掃除、乾燥させて、
消毒するという話になっていましたが、
床下にまくのが石灰でよいかどうか、医薬専門の根拠を確認したほうがよいと思いました。
(これについては、隣接の釜石市が市民宛に出しているチラシに説明があり、
 これをまごころネットのご担当にお渡ししました)

JKさんの運転でまごころネットのご担当と三人、遠野、釜石、大槌と移動して、
打合せに参加、そういう話をさせていただきました。
きっと間違ったことは言っていないと思います。
でもそれが当地の人の役に立つかどうかはまったく別のこと。
なんか余計なこと言ったかなと思ったり。
岩手の人は、無駄口は叩かないで、ばしっと必要なことを直球で言ってくる、感じ。
なかなか男前です。

行政も相当な被害を受けており、こうした作業は大変で、
ご苦労は相当なものと察せられます。
その分、民間ボランティアが大変がんばっていらっしゃいました。
官とか民とか言ってられない。
私がお世話になった「遠野まごころネット」のみなさんも、
実は近隣の企業に勤めている人だったりするようです。
これからもボランティアの受け皿の役割はますます重要になると思われます。
被災したみなさんへの支援はもちろん、こういったみなさんへの支援も不可欠です。

ボランティアには女性も多く、体育館に寝袋で寝起きなさっていました。
男でも結構難儀するのに、女性は大変だろうなと思います。

いつまで岩手の話を・・・
ここは高槻の町家のブログやんなぁ・・・
すみません。
でも、うちの読者のみなさんなら、いかにもマチヤ・テラスらしいなと、
あたたかく見守ってくださっていることと思います。
(一礼)


写真は、
 遠野の体育館、夜明け前の様子。
 朝8時、出発するボランティアのみなさん。
 夕方、釜石での作業を終えて遠野への帰路。
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by ti-ao | 2011-04-24 15:59 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 24日

託されたもの~岩手のこと・おまけ編~

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岩手での私たちの生活面について書いてみます。
インドアな私の体験、もしこれからボランティアで
現地に行こうという人がいたら、季節は変わりますが、
ちょっとは参考になるでしょうか。

岩手に行くにあたり、堂島に「ムジカ」を訪れました。
寝袋やリュックを紅茶ねえさんが貸してくださる。
お店の紅茶シスターズが、
「あちらで困っている人がいたら渡してください」と、
衣類や簡易裁縫セット、医療品、いろいろ託してくださいました。
ぞうのぬいぐるみも(笑)
「おぉ、そういうものか!」
女性のお心遣いに感心。
出発前の少し張りつめた気持ち、そっと支えてくれました。

岩手の遠野市、体育館での寝泊りは冷えました。
超インドアな私が乗り切れるかどうか、心配でしたが、
ひと晩寝てみて、やっぱり風邪を引きかけていました。

それで朝、しょうが湯。
体の芯があったまりました。
大阪を出る前に台所にあったのを荷物に放り込んでよかった。
外で冷えて帰って来て、体育館でもずっと冷えたままでしたから。

あと、大阪では使ったことのなかった携帯用のカイロ、
これもとてもありがたかった。
二日目から寝る時にお腹と腰と足の裏に入れていました。

風邪引きかけによいとされる薬と葛根湯も持参していました。
これは同行+現地合流した仲間が風邪を引きかけた時に使いました。

あちらでは入浴できないと思い、髪をバリカンで剃って坊主頭にして行きました。
トイレの洗面器、凍るような水で毎朝晩洗顔していましたが、
頭もいっしょに洗っていました。
実際には歩いていける場所にコイン・シャワーがあったようです。

初日いきなり手指に木のソゲが二か所刺さりました。
体育館内は暗いので廊下の灯りの下、
持参のトゲ抜きで取り除きました。
油断せず作業時はささいな時でも手袋をすべきです。

津波の泥は乾いて砂に。壊れたまちのがれきも粉になる。
常に強風があり、まちは砂嵐みたいでした。
ゴーグルやマスクは絶対に必要です。

JKさんの車で移動していたため、昼食は場所を選べました。
よく市街地の川べりのベンチで弁当を食べました。
被災住宅の掃除に参加した人たちは、
砂埃の舞う寒い屋外で厳しい昼食だったと後で聞きました。
食事、生活の環境は大事です。
被災した住民のみなさんはもちろんのことですが、
わざわざ参集して活動しているボランティアのみなさんの健康のことも、
もっと配慮されてよいと思います。
みんな覚悟して行っている。文句も言わない。黙々と活動する。
だけど、それで身体こわしたらあかん。

同行したJkさんはよく食べる。
常にいっしょにいた私もよく食べるこになる。
これが体力維持によかったと思います。

そして、ムジカのシスターズが持たせてくれた紅茶、テトラのパック、
ボランティア用の給湯コーナーに置かせていただいて、
みんなでいただきました。
あったかい紅茶、疲れた心身をほっとさせてくれます。
(遠い地でムジカの紅茶が飲めるなんて!)

そして、紅茶姉さんの寝袋、現地で借用した敷布団、毛布、
現地スタッフのそれとない支援、
何より、JKさんのタフさとやさしさ。
それと家族の心配。
これらがなければ、きっとしのげなかった。

みなさんのお心遣い。
ありがとうございました。
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あちらとこちらのキャンドル点灯。
イベントではなく、地味にやれたらと思います。
是非、ご一緒しましょう。
鎮魂、エール、いろいろな思い。
寄り添うような心で、いっしょに照らしましょう。

♪「秋桜」山口百恵
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by ti-ao | 2011-04-24 02:37 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 22日

東北・岩手のこと~手記5~

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今、報道で東北を見ると、あぁ  と思う。
もう、あそこは知らない土地ではない。
あのホコリにまみれた空気を吸って働いたし、
そこに知っている人たちもいる。
単純につらい。
でも、みんながんばっている。
私も、と思う。

釜石建築士会ヤマアラシくんと電話で話す。
私たちと入れ替わりに内陸部から大勢の建築士のみなさんが、
応援に来てくれるようになったらしい。
やっと組織的対応に入った様子。

被災地での建築制限が県から各市町に指示されたが、
釜石市には鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物が
相当数被災地域に残っており、
建築制限との絡みが難しそうだとのこと。
まだまだ大変。
みなさんお気をつけて。
私もできることはやりたいです。


 【2011年4月22日 金曜日 午後12時16分 知人宛】

 釜石五日目に住宅相談で伺ったお宅。
 1階廻りは津波の漂流物で囲まれて出入り出来ず。
 崖地から下屋の屋根に飛び移り、
 2階バルコニーの手摺を乗り越えて家に出入りする。
 それをなさっていた老夫婦。

 屋根の上に置いた椅子を踏み台にして、
 お父さんが手摺乗り越える時は、
 お母さんがバルコニーの内側にかがんで
 椅子が動かないように支えてはった。
 危ない。
 これから雨が降ればなおさら。

 帰阪してからも、あのお姿が心から離れず、
 でもかえってご迷惑かもと迷い・・・
 今日、気になってどうしょうもなくて電話した。
 (先週訪問時にアポ取った番号が携帯に残ってた)

 まだあのままで、この先も頻繁に出入りすると言う。
 津波で荒れた家の片付けは半分も終わっていない。
 ボランティアに1階廻りの瓦礫を除けてもらう話をすると、
 そうしてもらえると助かるとのこと。

 即、先週お世話になった遠野まごころネットに連絡。
 事情を伝えると「わかりました、すぐ対応しましょう」。
 ありがたかった。

 本来自分も参加してやるべきことを
 遠く離れた大阪からお願いして申し訳ない。
 あれを手当てせずに帰阪したのは失敗。
 ただ余裕なかったからなぁ・・・

 遠くのご夫婦のこと気にしてたら、
 今日は近くのご夫婦の記念日。
 何もしなくってごめんなさい。
 (ささやかに おめでとうございます☆)
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by ti-ao | 2011-04-22 17:19 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 22日

東北・岩手のこと~手記4~

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 【2011年4月18日 月曜日 午後03時58分 知人宛】

 4月15日(土)朝9時 遠野発。
 情報通の助言もあり福島のレベル7を意識して
 日本海まわりの帰路をとる。

 途中のサービスエリア、休憩の時、風がホコリっぽくなくて
 目も鼻も痛くなくて、びっくりしました。

 山形の寒河江や湯殿はまだ雪景色。
 越後の海は何もなくて少し波は荒いけど純できれいでした。
 それまで少し気が滅入って二人とも無口になっていましたが、
 そういう車窓の景色で少しづつ前に向く気分に戻れました。
 遠回りしたいちばんのメリットは、実はここにあったようです。
 夜中は交代で仮眠して私もちょっと運転しましたが、
 殆どJKさんが運転してくれました。

 4月16日(日)夜明け前 大阪、高槻着。
 「こっちの月はきれい。かすんでいない」とJKさんが言った。
 ほんまやと思った。
 ドロドロになったレンジローバーを洗って、
 家の前まで送ってもらい荷を降ろして分かれる。

 帰ってまずはシャワーしました。
 1週間入ってなかった。
 坊主にしていてよかったです。
 久しぶりにお湯に触れると肌が痛かったです。


 余談。
 向こうで、ある夜、手提げキャンドルを灯しました。
 遠野の人たちにキャンドル作って灯しませんかと誘ったら、
 わりと乗り気みたいでした。
 ささやかでいい。
 それとなく寄り添う心で、つながる心で、灯したいな。

 ほんとうは向こうでお手伝いしたかったけど、
 さすがにこれ以上の滞在はきついので、
 遠野と高槻で同じ日、同じ時間にいっしょに
 キャンドルを灯そうと話して、帰ってきました。


 とまぁ、軽くご報告のつもりが、
 まとまりなく長話になってしまいました。
 覚えている事をメモする感じもあり、あしからずです。
 またお目にかかってお話しましょう。
 では、これからもよろしくお願いします。


 ♪「生まれ来る子供たちのために」
   Off Course
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by ti-ao | 2011-04-22 17:10 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 22日

東北・岩手のこと~手記3~

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続いて、東北・岩手県、現地でのことを書いてみました。
4月18日(月)の段階での手記です。
覚えていることをざっとメモするつもりが、
とても長い文になりました。


 【2011年4月18日 月曜日 午後03時53分 知人宛】

 日曜の夜明け前、大阪に戻って来ました。
 無事です。
 いろいろとご心配おかけしてすみませんでした。
 そして、お気遣い、ご協力ありがとうございました。

 どんな感じだったか少しお話してみます。


 4月10日(日)夕刻 JKさんの車で高槻発。
 (二人だけ。運転は途中で少し代わりましたが殆どJKさん)

 4月11日(月)朝5時 岩手県遠野市(福祉センター体育館)着。
 遠野まごころネットにボランティア登録してそこに寝泊まり。
 ここには社会福祉協議会、民間ボランティア団体、
 日赤やJICA国際協力機構等の関係者、
 それに各地から来た個人ボランティアが集まっています。
 私たちはここで登録して宿泊するけど、作業は建築士会の手伝いということで、
 少し変わった形でのボランティアだったようです。

 そこから5日間、毎朝8時30分ごろに車で遠野を出て、
 渋滞含めて1時間くらいかけて東の沿岸部、
 釜石市の災害復興本部に通いました。
 (初日だけは大槌町の家屋床下清掃・消毒の方針付けについてお手伝い)

 沿岸の釜石市や大槌町は被害がひどいので、
 内陸側に隣接する遠野市にボランティア拠点を張って、
 ここに参集した人々を毎朝夕、バス数台で沿岸現地へ往復移送して、
 作業を続けていました。
 遠野はほぼ平常、という感じでした。
 ボランティアや自衛隊であふれている以外は。

 釜石市で私たちがお手伝いしたのは建築士会による
 被災建築物の緊急危険度判定に準ずる作業。
 (個人的に建築士会釜石支部に電話連絡して
 お手伝いに駆けつける話を決めて大阪を出ました)
 (宿泊先の情報もこの支部から聞きました)
 所有者から建築士会に依頼のあった建物に行って、
 ダメージがどの程度か見極めて、
 補修して使えるかどうかの助言をします。
 (これは神戸の時にも経験がありました)

 小一時間見ただけではその判断は難しいので、
 より詳細な調査(耐震診断)をすすめるケースが多いですが、
 依頼者の真剣なお顔を見ていると、
 一体何のお役に立てているのかと辛い気分になります。

 被災建築物は全半壊の場合、撤去費用は公費で全額まかなえるので、
 一気に撤去して新たに建て直す方が今後の生活再建の上ではよい、
 というのが地元建築士会の考えの主流のようです。
 愛着をお持ちの古い家屋で、判定が微妙な場合
 (こういうケースでは今回の被災がなくても元々微妙)、
 現地、その場で、家の人を前に相当悩みました。
 (持ち帰ってじっくり検討することはなく、すべてはその場で判断する)
 
 できるだけ専門用語は使わず、わかりやすい説明と、
 この先どういう手順でどういう選択肢があるのかを
 その場で可能な限り具体的にお話したつもりです。
 お医者と同じで、ご自分の身体(家)のことを
 よりしっかりわかってもらうことが、
 この先の治療(補修など)の判断には不可欠です。
 (専門職には案外この思考が欠落している)

 私が担当したのは個人住宅、店舗(兼用住宅含)、工場、公共施設などで、
 構造的には木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造とひと通りありました。
 概ね一日に5、6件見てまわる感じでしょうか。
 士会釜石支部への依頼が200件程度あり、
 木曜夜の段階で150件ほどは判定が終わりました。
 でも毎日希望件数が増えているので、
 おそらく当面は作業が続くと思われます。

 作業した大槌町も釜石市も、
 あるいは車で通りかかった大船渡市、陸前高田市、気仙沼市も、
 同じ街の中であっても、津波の及んだ範囲とそれ以外とでは様相が一変する。
 津波の来た(届いた)ところは報道の通りあたり一面ががれきや泥で埋め尽くされています。
 1ヶ月たって、道路の幅だけはどうにか、物を両脇に押しのけて確保されていました。
 (がれきは建物入口に寄せてたまっている状態)
 ところが、少し移動して津波の届かなかったあたりまで来ると、
 殆ど日常のまちの姿をとどめている感じでした。

 神戸の地震の時などは基本的には敷地内で倒壊していました。
 もちろん道路や隣地にも倒れ込んだりもしていましたが。
 しかし、今回の津波被害の場合だと(地震そのものよりも津波の被害)、
 道路も敷地も関係なく物や泥が一面に流れてきて
 ひろがっているのが大きな特徴だと思います。
 そこに人も埋もれている。
 通路を確保するのにも非常な手間暇がかかる。
 そして建物は主に1階部分が津波(漂流物)の一定方向からの強い力で
 一気に押し壊されている感じで、
 これも地震力による破壊の仕方とは違います。
 1階は天井まで水に浸って天井も壁も床も壊れて泥で汚れています。
 物も泥も散らかっている。
 こういうものをよじ登ったりかき分けたりして階段を上り、
 2階に上がると大抵は腰辺りまで浸水した跡がありました。
 同じ震災でも神戸ではこういう景色は見たことがなかった。
 異様な感じでした。

 釜石の駅前商業集積施設(業務は停止)に災害復興本部があり、
 そこで毎日打合せをしましたが、
 隣では行方不明者や亡くなった方の情報確認に来ている人もいらっしゃるし、
 近くの公共施設前には罹災証明手続の長い人の列が延々伸びているし、
 倉庫や公共施設などには物資の集積と仕分けがなされていて、
 フリーマーケット的に一部を屋外で開放しているスペースもありました。
 物資に関しては仕分けができないため、ちゃんと、早く配れずに、
 持ち腐れているのが実態ではないかいう印象(あくまでも印象です)。
 神戸の時同様、仮設トイレはたくさんありました。
 (釜石市では水道や電気は概ね復旧していました)

 ボランティア用の駐車スペースは常に一杯。
 見慣れた大阪市バスも移送用に提供されて来ていました。

 公的グランドには自衛隊が駐留しておびただしいテントと車輌。
 道路でもよく自衛隊や警察車輌とすれ違います。
 彼らはおそらく道路や区画の復旧、遺体収容などをやっていたのだと思います。

 信号が止まっている地域では警察が交通整理、
 でも、それもいない場所も多かった。
 交通整理のおまわりさんは他地域からの派遣で
 地元の道を知らないようでした。
 釜石市内は常に渋滞している感じでした。

 主要道路は事前に調べた通り、
 都市間の主要幹線も市内の地域幹線も通行可能でした。
 ただ、路面に不陸(段差)や亀裂が多くありました。
 走行中、車体がよくホップします。

 釜石市では、物流はほぼ復旧していました。
 商業施設の物流があって支援物資も加わり、
 物はあふれている印象。
 私たちが泊まった体育館にも物資が積まれていて、
 仕分けが追い付かず、なかなか減っていかない感じでした。

 これからは物よりも応援の人と金が必要なのでしょう。

 壊れた家に入ろうにも玄関前に物と泥があふれていて、
 その片付けから始めなければならない。
 家の中も1階はドアや窓が破れて完全に一度水没しているから
 天井までぼろぼろになっています。
 床の上に散らかった物や泥を運び出し、
 床板を上げて床下の泥を取り除き、
 乾燥させて消毒して・・・
 こうしたことひとつひとつが大変な作業の積み重ね。
 そういう手伝いはまだまだこれから必要です。
 都市基盤の回復(埋もれた人の捜索も含めて)が
 1ヶ月かけて最低限のレベルまで達しつつあり、
 今ようやく人々は家のことに手を付けようかという
 時期(段階)なのだと思われます。

 そして壊れた家を直すにも建て替えるにもお金は要ります。
 生活用品も全て流されていますし。

 「被災して家や物やお金がなくなった人には、
 いまだに救援のお金が一銭も届いていない、
 貧窮している人は飢え死にしろと言わんばかりだ」と、
 Jkさんが知り合った地元の人が話してくれたようです。

 カンフル剤は、ここぞというその時に打たねば、
 意味がない。
 貯め込まないで、早く困っている人に配ってほしいです。
 募金している多くの人もそう思っているはずです。

 あぁ、もし、物を送るなら、ボランティアも
 かなり厳しい状況で寝泊まりしているので、
 その支援があってもいいのかも。
 事の順逆がおかしいと言われそうですが。
 特に外部から入って作業に加わる人々は
 寝泊まりの環境が非常に厳しいです。
 向こうはまだ、特に夜は真冬の寒さでした。
 昼間との温度差で余計にみんなやられる。

 私たちが泊めてもらった体育館も当然暖房はないし
 照明も限られていました。
 初日、貸してくれた敷布団と持参の寝袋と
 下敷用アルミシート2枚重ね、あと貼るカイロ、
 これだけで寝たらいきなり風邪を引きそうになりました。
 タフの権化?!JKさんも向こうではずっと鼻声でした。
 結局、支援物資で受け入れたものの配布できずに施設内に
 積み上げてあった中古の毛布とかをみんなで借用して
 どうにか寒さをしのいでいました。
 廊下を挟んだお向かいの和室には暖房もあったようでしたが。

 ボランティアは生活を自己完結してくれと
 事前の電話での確認時に言われていました。
 地元店舗での買い物も控えてほしいとも。
 このため大量に準備して出向きましたが、
 実際には水や食料、薬品は問題なく現地調達できました。
 JKさんの取材によれば釜石市のスーパーも入荷はまったく問題がなく、
 ボランティアが買い控えなんかしなくてもいい、
 むしろどんどん買ってください、みたいな感じだったとか。
 遠方から駆けつける者にとって、水や食料、医薬品が
 現地調達できるか否かはきわめて重大です。
 そのくらいのことは現地で仕切っている人にはわかっている。
 マニュアル通りではなく、現実的な情報を伝えていただきたいと思います。
 非常時でみんなたいへん、もはや文句はない、
 ただあきらめて二人とも苦笑。

 余震は毎日頻発。
 遠野の体育館にいると音が凄いけど、揺れはあまり感じなかった。
 遠野は地盤が硬くて、地鳴りがすると地元の人に聞きました。

 ちなみに私が家屋の調査をしている間、
 JKさんは近隣住民さんのお手伝いや聞き取りをまめにしていました。
 また調査対象の地点まで一緒に車で送り届けてくれて、
 食事の調達とかもしてくれました。
 バールで内装材破って鉄骨柱の状況確認する時の
 手際のよさはタダモノじゃないね。
 JKカフェで下ネタ連発してるだけのオーナーと違うことが
 あらためて確認できてよかったです(笑)
 あと、体育館内で火は使えないので、
 寒空の下、ご飯を炊いてカレーを作ってくれた。
 ご飯はちょっと芯があるけど、あったかいカレー、
 岩手の1週間でいちばんの思い出かもしれません。

 向こうではあまり星が見えなくて、それが意外でした。
 地元のお年寄りとか、時折、早口でしゃべってくると、
 なにいってんだが、まったぐ、はぁ、わがんねぇかんじだべ。

 向こうではいろんな出会いがありました。
 東京から来たJKさんの知り合いの面々は
 きわめて個性的なキャラ軍団でしたし、
 ボランティアの人たちにもいろんな事情で
 いろんな関わり方をしている人たちがいました。
 とにかく、そういういろんな人たちが、それぞれ、自分に何ができるか、
 被災したまちで一所懸命考えながら働いていました。

 行政のルールや組織の理屈なんかあほくさく感じました。
 要請がないから動かないとか、組織同士のなすり合いとか、ほんま。
 自分で必要やと思ったことが実行できへんなんて、大人やない。
 現に、地元では人手が必要で要請しているのに
 応援がないと言っていました。
 必要なことが阻害される組織なんか、いらん。
 そんな組織の理屈の傘に隠れてモノを言う大人もいらん。

 5日目、金曜日になってようやく岩手県内の建築士が10名ほど集合。
 これも正式な派遣手順を踏まずに知り合いを呼び集めた結果らしい。
 それまでの外部からの応援はJKさんと私だけだったようです。
 基本的に常時活動してるのは支部根幹の数名だけ。
 これは大変です。
 応援部隊が来るまでのつなぎくらいにはなれたのかな。

 地元の親分の心遣いで最終日は中学校の校舎の点検とか、
 比較的負担の軽いと思われる作業を割り当てられました。

 向こうはようやく桜が咲き始めたころ。
 白いモクレンがすごくきれいに咲いていました。
 岩手の木は伸びやかで大きくて樹形がとにかく美しい。
 学校が少し遅れて始まり、週末に地元の子供や
 学生の姿を見かけるようになると、
 なぜかほっとしました。


 ♪「炎のたからもの」Treasures of Time
   ボビー+大野雄二


(注記:状況などの記述は当時のものです。伝聞をそのまま裏付なく記載している場合があります)
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by ti-ao | 2011-04-22 17:00 | 地震のこと | Trackback | Comments(2)
2011年 04月 21日

東北・岩手のこと~手記2~

 【2011年4月10日 日曜日 午後01時05分 知人宛】

 予定が決まりました。

 4月10日(日)今日午後 高槻出発。
 車で行きます。
 メンバーは友人JKさんと私だけに。
 (一人遅参予定)
 二人で交代して15時間?運転して行きます。

 宿泊先は岩手県遠野市福祉センター体育館の予定。
 ここでボランティア登録して泊まります。
 ボランティアはまだ不足しているとのことです。
 (遠野まごころネット

 食糧などは持参してほしいとのことで、医薬品も含めて準備。
 体育館に泊まるので寝袋も知人からお借りしました。
 (風呂に入れないと思うので頭も丸めました)

 作業場所は岩手県釜石市や大槌町。
 私は建築士会釜石支部の住宅相談(準危険度判定)に参加します。
 近隣県の士会に要請しているが未だ来援なしとのことで、
 人手が足りない、ぜひ来てくれというお話でした。
 (神戸の時には釜石からも来てくださったらしいです)

 建築士の派遣は都道府県間の要請の受け渡しが先にあって、
 行政からそれぞれの管轄建築士会に要請が届くようなので、
 非常に手間暇かかりすぎている気がします。
 組織立って動くのはもう少し先になりそうです。

 沿岸の釜石や大槌は津波被害がひどいので、
 内陸西隣の遠野がボランティア支援の基点になりつつあるようです。
 ボランティアが行こうにも、状況がひどい所ほど受け皿がない。
 遠野や釜石は一部を除いて水も電気も復旧しているとのこと。
 物資も豊富らしいです。(電話で聞いたところ)

 被災した建物については、地震力で破損したケースはよく見ていますが、
 津波でやられたケースは見たことがない。
 ただ、調査道具はいつもの仕事道具です。
 (下げ振り、コンベックス、カメラ、懐中電灯など)

 どうも予定があやふややなと思ったら、
 今回、メンバーが親分肌、一匹狼ライター、多忙官僚、男前建築士(?)なので、
 誰もしっかり計画していないことに気付きました(!)
 結局、人任せにせず自分で段取りして決めました。
 どこに行って何をするかどこに泊まるか。

 あとは地元のじゃまにならぬよう、
 無理しないよう、
 しっかりやって来たいと思います。

 日曜日に高槻を出て月曜日に岩手に着いて、
 土曜日には向こうを出て日曜日には帰阪することにしました。

 いろいろとお気遣いありがとうございます。
 また、ご心配をおかけしてすみません。

 JKさんの目がしっかりさめた頃(!)出かけます。
 この先は携帯での連絡となります。
 よろしくお願いします。

 では、また。

(注記:状況などの記述は当時のものです。伝聞をそのまま裏付なく記載している場合があります)
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by ti-ao | 2011-04-21 05:59 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 21日

東北・岩手のこと~手記1~

先週一週間、岩手県に行っていました。
東北の地震と津波のあった場所。
個人でのボランティア参加です。

当初は知人のツテで現地入りの予定でしたが、
結局は自分で目的と活動場所と宿泊先を決めて出かけました。

その経緯や向こうでのことを手記からご紹介します。


 【2011年4月6日 水曜日 午前07時52分 知人宛】

 来週、長くて1週間、東北へ行くつもりです。
 状況によってはすぐに戻るかもしれませんが。

 今、震災の現地に行っても、
 どこまで何の役に立てるかも分からないし、
 かえって邪魔になるおそれがある。
 自分の健康を保てるかどうかも分からない。

 もう少し先、例えばあと1ヶ月とか待てば、
 建築士としてのボランティアがあるかもしれず、
 それに行ってもよかったけど、
 ともかくどこかの段階で現地に行く機会をさがしていました。
 そうしたら以前から東北行きの話をしていた知人から、
 どうやら行けそうだけど、どう?と声がかかりました。

 本当は、もう少し自分の出番は先だと思っていました。
 地元(高槻)でやるべきことをしっかりやりながら、
 東北での出番がいつなのか状況を見極めるつもりでした。
 でも、今、機会があるなら、行こうと思います。
 迷いはなかった。

 私はお金ではなく身体を使って何か役に立ちたい。
 報道を見ていても、つらい。

 今はまだ自分の専門性を活かす貢献はできないかもしれない。
 それ以前の作業とかをお手伝いすることになるのだろうと思っています。

 この状況で、
 自分に何ができるのか、
 自分で行って、自分で見て、
 自分でやれることをやりたい。
 そしてあるいは、
 自分がこの先どうするべきか見極めたい。
 なんだか自分ばっかりですが、
 こういう時は、
 ~もちろん落ち着いて人と協力することは必要ですが~
 その上で、
 自分の動きは自分で考えて何とかするしかない気がします。

 向こうで何か気付いた時や、
 留守中にこちらで何か必要になった時のために、
 こちらの信頼できる人たちにはすでに話をしつつあります。


 ただし、
 無理はしない。
 すでにいっぱい心配かけています。
 無理はしません。
 そして、
 地元(岩手)に迷惑をかけない。

 これができなければ、すぐ退くこと。
 そう決めています。

 とは言え、まだ話が具体的ではありません。
 ただ、出発予定が近付いてくるので、
 ここに今の気持ちを書きとめてみようと思いました。


(注記:状況などの記述は当時のものです。伝聞をそのまま裏付なく記載している場合があります)
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by ti-ao | 2011-04-21 05:27 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 10日

しばらくおやすみします

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by ti-ao | 2011-04-10 13:16 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)