マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

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2015年 05月 31日

道の左右の意味を考えたことがありますか~とんだふうけい6~

かつての富田郷と思われるエリア内で、これはおもしろいと思った家は約80軒。
このうち、主屋はすでに新しく建て替えられており、蔵や納屋のみ残っている家を除いても、
ほぼ60軒ほどは町家調査してみたいお家です。
高槻旧城下町と芥川宿とに現存する主な町家が合わせて70軒程度でした。
(ただし、マチヤ・レポートで特に取り上げた軒数です)
いかに、富田郷に気になる町家や民家が多いか、よくわかりました。

富田は、元々よく歩いていたまちですが、どこにどのような町家などがあるか、
これを実地と図上とで照合して確認したことはありませんでした。
この春から下見して歩いてみて、ようやくわかりました。
今回、富田郷の概形も地図上に見えてきましたし、
また、富田郷町家は土地とか地形と密接なので、
「土地に根ざした家」としての特徴に着目して調べることが大事だ!
ということも、実感しました。
土地と家が密接な関係にあることは、本来なら当たり前の話ですが、
現在の家や建築は必ずしもそうではないことも多いのが実情です。
今後の富田のまちを見すえる上でも、これは特に、とても重要な要素になります。
現在、富田での建築行為が、果たしてどこまでこのことを意識しているものか。

ともかく、町家とともに、まちの姿を浮き彫りにして、記録に残すこと。
それをひろくお伝えすること。
さらに、これからのまちづくりに役立てること。
こういうことを目指したいなと思っています(あくまでも希望です)

少し写真について。
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1枚目。
これは井戸?手水鉢?防火水槽?なんともふしぎです。
井戸ならこんな無造作に?まちかどにあるものなのでしょうか。
富田は酒造業で栄えたくらいだから水はよい。
富田の水と水の道は、これまた調べたいことです。
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2枚目。
集合住宅のピロティに向かって土地がだぁ~っと下ります。
さらに右の家は嵩上げされた宅盤の上に建っています。
このあたりがおそらく富田郷の北東端あたりなのでしょう。
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3枚目。
その富田郷の北東端、東岡宿と言われたあたりです。
この道の両側、違いがあります。見比べてください。

今は、鋼製の防護柵が左手にはありますが、右手にはない。
左は南です。こちら側には水路があり、それなりの幅と深さがあります。
ちゃんと石積みで固められています。
どうやらこれが昔の堀だか土塁だかの名残だということでしょうか。
(これが左手、つまり南にぐるりと折れたながめが2枚目です)
道路の右側に防護柵がないのは、これは大きな水路がなく、
道路側溝程度のものがあるにとどまるためです。
(と言っても、結構深いですけどね)
そして、この画面、少し奥(西)に行ったところに、かつては門があったようです。

つまり、この道の左(南)側は門の内で、水路か堀で隔たれていて、
右(北)側は門の外だった、ということなのかなと思います。
今は、この道が主な通りになっているので、両側の家並も、
特に南側の家並も、こっちに顔を向けているように思える。玄関もこっち向き。
しかし、果たして、町場の内外がこの道の左右(南北)で分かれていたのなら、
戦国~江戸時代などは、どういう建物の使い方だったのか、
あるいは、どういう道との関係を持っていたのか、気になります。
特に、左手(南側)の家々は、当然出入りはこの通りからではなく、
反対側、今の裏道みたいな1本南側の通りからだったと思える。
では、この通りに背を向けていたのだろうか。
もしもそうなら、いつから家の顔が南から北に向き直ったのだろうか。
どんな感じだったのでしょう。
左手は、もっと防御的な姿だったのでしょうか。
今は奇しくもそれが車用の防護柵に表れている。
なぞなぞなぞ、なぞだらけ。

そんなこんなを、土地の人、家の人にも聞いてみたい。うずうずします。

そして、そんなこんなに思いを巡らせつつ、潜航建築士は帰路につくのです。
旅人になった気分で(笑)
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追記:
この辺りには高槻には珍しい本瓦葺
(丸い瓦と平たい瓦が交互に葺かれている、お寺に多い葺き方)
の町家もあります。
京に近付くほど、本瓦葺は少なくなるのではないかと、
私は勝手に思っています。あくまでもまだ浅い私見です。
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by ti-ao | 2015-05-31 23:44 | とんだふうけい(高槻市富田) | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 31日

きってもきれない~とんだふうけい5~

富田郷は台地の端の方にあり、また、堀や土塁で囲まれていたということもあり、
さらには池や水路との関係もあり、とても地形がおもしろい。
そして、そういう土地に建つ建物を見る上で、土地の状況は大切。
つまり、富田の町家や古民家を調べるなら、その土地、地形もいっしょに、
ということになります。切っても切れない家と土地。
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1枚目。先の日記の反対側(北側)から酒蔵を見る。
ここは富田郷の南東端あたり。
土地が左手(東)へ、奥(南)へと下がっているのがよく分かります。
ちなみに、あの酒蔵は漆喰と板張り、に見えるかもしれませんが、
実はすべて鉄板でおおわれています。
昔のままで維持しようとするからしんどい。
こういう柔軟な手法もあってよいと、私は思っています。
何年か前より塗装もきれいになっているようです。
ちゃんと手入れなさっているのでしょう。
ところで、富田郷の東西両端あたりに、今も造り酒屋が残っている。
これは何か意味があるのでしょうか。
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2枚目。近くのとある道。
写真右手は水路です。蓋がかかっていて、その分路面が高く見えます。
暗渠にした際は蓋が露出して、段差があったかもしれません。
今なら「なんだ道の真ん中に段差とは、けしからん!」となりますが、
本来は、道の真ん中ではなく、道の端っこ、水路際、だったはずです。
だから、地元の古い人たちにとっては、さほど問題はないのかもしれません。
(役所の道路管理者は幅員をどう見ているのか、興味あります)

その段差を黒アスファルトでナナメに擦り付けたのでしょう(推測です)
だから道の真ん中にナナメの部分がある。
ナナメの擦り付け部分に一定間隔でぽこぽことパイプが見えます。
はじめは水路のオーバーフロー管か通気管か?と思いましたが、
違いますよね。すなおに見れば、よかったのです。
左手の低い方の路面にたまった雨水を水路に流入させるための、
水抜き塩ビ管でしょう。小口も路面にあわせてナナメにカットしてあります。
両側沿道敷地各々へのアプローチに段差が生じるのを防ぐこともあって、
こういう路面の真ん中に段差がある断面形状になっていると思いますが、
この段差を解消する改修手法はいくつか考えられます。
が、結構大変。
ここは地元の人しか通らないような道なので、こういう珍しい形で残っているのでしょう。
珍しい道路構成。時代の流れがそのまんまあらわれている。
ある意味、地域の歴史を物語っている。

こんなところに引っかかってしまう自分、やっぱヘンなヤツやなと思います。
ところで、さんざんおしゃべりしましたが、これまでの話はここでは枝葉(!?)
大事なのは、この右手の水路と画面奥にある筒井池との関係です。
それは今後、調べたいことのひとつです。
富田には、台地上で良質な酒米をつくるため、大きな池がありました。
現代になり、水田の減少に伴い、必要性の低くなった池を埋め立てて土地を作り、
地元のための資金源としたような話が池を埋め立てた公園の石碑にも記されています。
(誰にでもわかるように記録を残すことはとても大事。思わず一礼)
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3枚目。
ひとつ前の写真の水路とつながった水路。
路面を右へ左へと流れていますね。蓋のかかった暗渠ですが。
左手の建物、元は水路の際に石垣を積み、その上に建てた、
というふうに見れば、なんとなく自然な風景に思えませんか?
富田では水路(暗渠、開渠とも)をたどって歩くだけでも、おもしろいです。
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4枚目。
鍾馗さま!富田ではじめて出会いました。もちろんお寺の前のお家です。
写真、ちっちゃいですが、屋根の上からにらみをきかせてはります。
今、高槻旧城下町でもほとんど見かけません。
(私が思いつくのは1軒のみ)
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5枚目。
やはり富田郷の東端は、つまり台地の東端。
坂もきれいに東へ下りるのです。
そして、家々はちゃんと石垣で固めた上に建っています。

追記:
なんか、道とか屋根しか見てへんのか?という気がしてきました。
気のせいですよね。たぶん。きっと。
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by ti-ao | 2015-05-31 00:08 | とんだふうけい(高槻市富田) | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 28日

帰る月 2015

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「今、茨木にいる」と茶縁の師匠からお電話。
ばたばたと駆けつけて、その30分後には、なぜか尼崎駅のホームにいた。
ベンチに並んで缶ビール。(←生まれて初めての体験☆)
日曜のパーティでお目にかかったものの、ゆっくりはお話しできなかった。
今日は電車を何本か見送りながら、ゆるゆるとお話して、
1本飲み終えたころに「次の電車に乗ります」とおっしゃって、お見送り。
今日は特に重要な話はなかったのですが、それでもなお、
わざわざお時間を取ってくださって、なにげないお話をする。
これってぜいたくで、ありがたいことやなぁ。
紅茶とワインがお好きなことはみんな知っている。
缶ビールもお飲みになるんですね(笑)
ありがとうございました。

帰る宵の空に、おぼろな月。
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余記:
「はぐれそうな天使」が流れてる。
先日、ラジオで聴いてから、ずっと心の中に流れてます。
今宵も。
来生姉弟の詞と曲がすばらしく、岡村孝子のまっすぐな歌声が心地よい。
アレンジはいかにも80年代!やっぱ、いいよね80年代。
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by ti-ao | 2015-05-28 23:28 | 風景カフェ | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 27日

気がつけば5月もあと少し。(ある潜航建築士より)

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今月、「まちづくり専攻建築士」と「大阪府ヘリテージマネージャー」になりました。
専攻建築士は、より専門性を明らかにするということでしょうか。
ヘリテージは歴史文化遺産ということで、その世話役です。
みなさんのまわりに埋もれている歴史資源や文化財を発掘して、
調べて、その魅力を記録して、みなさんにお伝えして、
さらに、保存したり、活用したりしていく、そんな人のこと。
つまり、私自身はもうずっとやってきたことなのです。
ようやく、それを大阪府なり建築士会なりに認めていただいた、
という感じでしょうか。

これからも自分がどういうことでみなさんのお役に立てるのか、
その確認と意思表示でもあります。
今、この時期にこのふたつの資格的裏付けをいただいたことは、
それなりに意味がある(つまり偶然ではない)と思います。

たとえば、まちや集落の特徴、町家や古民家の調査、さらに、保全や活用、
こういうことについて、お気軽にご相談ください。
このぼろい建物、かっこよくて使いやすくならんか?
みたいなお話も、ぜひ。
だれも見向きもしないようなさびれた建物が、案外、魅力的だったりするものです。

ちなみに、若いころからかかわってきた、団地再生の仕事も、まだ現役です(笑)
こちらもお待ちしています!


追記:
たまには仕事の宣伝も勘弁してね。
ちょうど一年前の建築士会会報への寄稿で、
無償で取り組みたいと言い張りました!が、
やはり、歴史まちづくりの取組が無償では厳しい。
続かない。
仕事にならないと。
だけど、仕事で金が要るなら、やらなくていいと言われる、
から、やむにやまれず、町家調査など無償でやってきました。
つらいところです。
今後、ここは明らかにあらためるべきです。
士会への寄稿も、あれはあかんかったと反省しています。
(ちょうどあのころは「こうなったら意地でも無償でやり通してやる」とムキになっていました。
 実際、高槻旧城下町と芥川宿の町家調査は、それでやり切ってしまいました。
 ついでに結果公表である出版まで。
 よく勘違いされますが、役所の委託とかそういうことではありませんでした。
 完全、無償です。きれいにつるつるてんのすっかすか、わたくしもうはなぢもでませんことよ!)

あ、文中の発掘って、実際に地面掘るわけじゃありません(笑)
発見てゆうことです。

追記の追記
マチヤ・テラスの潜航しているかのような現状から、
潜航建築士というべきかもしれませんね。
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by ti-ao | 2015-05-27 23:41 | おしごと | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 25日

茶縁日記2~田中金盛堂さんのせんべい~

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帰りに茶友たちとギャラリーへ。
以前から気になっていた路地に面した建物。
阪神電車が窓のすぐ外を駆けていく。
おもしろい場所でした。
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もちろん、芦屋のお土産は田中金盛堂さんのおせんべいです。
つい袋にらくがきしていますが。

高槻に戻り、カフェで聞くと、すでにジャズスト反省会は終わったらしい。
おつかれさまでした。
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こんな、5月のよく晴れた日曜のこと。
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by ti-ao | 2015-05-25 12:49 | しばらく旅に出ますにっき | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 25日

茶縁日記1~ムジカさんの本と茶~

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musica tea のT-san(堀江敏樹さん)が何冊目かのご出版☆
「紅茶屋のつぶやき」(発行:(株)めこん)。
日曜の午後、芦屋の洋館にて、その記念パーティ。
おめでとうございます+ありがとうございました。
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洋館にあふれる人、人、笑顔。
茶縁のすごさを実感。

お屋敷は、大阪で成功した人が大正時代に、ここ芦屋に建てたようです。
演奏会の間、私は茶縁なかまと凝った意匠の階段で聴き入っていました。
そのあと庭に出て野点。
サーメットくんがここにも登場するあたりは、さすがムジカさん。
晴天のもと、木々に囲まれてお茶をいただきました。
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追記:
「ドレスコードは思いっきりカジュアル」
真に受けておじゃましました。
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by ti-ao | 2015-05-25 12:45 | しばらく旅に出ますにっき | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 23日

高槻の城下町、門冠りの松

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高槻ジャズストリートでお世話になった城下町のみなさん、
先週末、メンバーそろって、ごあいさつしてまわりました。

高槻の城下町(もしくは城郭内)には、門冠りの松を持つ家が、
何軒か残っています。
建て替えても、松だけは残すお宅もあります。

門の上に枝をはわせてアーチのようにして、
さらに1階通り庇の上をずぅ~っとはわせています。

そんな門冠りの松のある町家も、この日、訪ねました。
町家調査以来、何度かお目にかかっているので、
このごろは笑顔でお話できるようになってきました。
ところで、このお家には昔あったと思われる門がありません。
門冠りの松があるのだから、あの枝の下にはそれなりの門があったはず。
「はい、ありました」☆
よくぞ聞いてくれましたというふうによろこんでくださり、庭も見せてくださいました。

こうして古い家や庭や木々を大切になさっている城下町のみなさん。
心から応援します。
そして、ありがとうございます。
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関連記事を「高槻町家のブログ」にも掲載しています。
よろしければ、お立ち寄りくださいませ。

マチヤ・レポート(高槻町家図鑑001)jkm3の町家です。

ぁ、追記:「門冠り」は「もんかぶり」と読みます。
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by ti-ao | 2015-05-23 19:00 | 高槻の町家図鑑 | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 22日

関西大学、村野藤吾建築との再会

昨日、@茨木町家文化フォーラムの活動で関西大学へ。
母校、久しぶり。
ごいっしょした先輩も言っていらしたが、
おどろき(変わり過ぎ)となつかしさ(昔のまんま)の交錯する半日でした。
主に村野藤吾さん設計の建築を見てまわりました。

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写真1枚目は関大の象徴とも言える(旧)円形図書館と古い学舎の取り合い部分。
ここは昔とさほど変わっていない。
(個人的にはもうひとつの白い(旧)円形図書館が好きです)
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しかし、建物の反対側へまわり込むと、すかっと広い!写真2枚目。
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3枚目は同じ場所の昔の風景。
法文学舎の、冬なのにさわさわと木のなる中庭。
だいすきな場所でした。(私は工学部でしたが)
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4枚目は、茶室、の、屋根。
いかにも村野さんらしいのです(ほれぼれ)

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スケッチは、1995年3月に仕事で宝塚に行った帰り、
電車に揺られながら描いたもの。
在学中の関大を思い出そうとして描きました。
真ん中らへんの中央図書館はおおきなゾウに見えるのです。
学生時代から「ダンボさん」と、勝手に!心の中で!呼んでいます。
写真撮り忘れました・・・
というか学生が多くて撮れなかった。
ちなみにこの図書館にもマチヤ・レポートは所蔵されています(ふっふっふ)
「志在千里山」はもちろん、曹操の「志在千里」をもじったもの。


関大のみなさん、ごいっしょくださったみなさん、
ありがとうございました。
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by ti-ao | 2015-05-22 00:07 | 風景カフェ | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 18日

唐突ですが、住宅地の中に酒蔵♪(富田の角っこ)~とんだふうけい4~

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かつての富田郷、その南東の出隅はこのあたりか。
酒蔵近くの細い野道をくだると水路があり、
すごく小さな石の橋。すごい薄い!厚さ約120mm。
それを渡れば富田郷の外。
とても小さいけれど、あっちとこっちの境界。

ここはおそらく、昔はまちのはずれで、石垣に沿う小川べりに、
田畑や野っぱらが広がっていたのだろう。
酒蔵だけが遠くからも目立っていたはず。
そんなかつてのまちの南東角っこらへん。
雨が降ってきた。


(まだ、想像にすぎません)
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by ti-ao | 2015-05-18 22:03 | とんだふうけい(高槻市富田) | Trackback | Comments(0)
2015年 05月 17日

富田は心臓か~とんだふうけい3~

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歩いた軌跡が昔の富田郷の姿をあぶり出すの図
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左様、麦わらです


かつて江戸時代ごろの富田郷(あるいは富田村)は、
今のどのあたりがそうだったのだろうかと思っていました。
古い地形図などでは、かなり複雑な形。
それは心臓などの臓器の如し。
この春からぼちぼちと気になる(おもしろそうな)あたりを歩いています。
古い集落や古い民家、町家のあるあたりを歩きまわる。
するとその歩いた軌跡が、自ずと昔の富田郷の姿を浮き彫りにし始めました。
おもしろいものですね。
やはり、かつての富田郷は心臓みたいな形。
もしかしたら、その昔は茨木、高槻の心臓だったのかも(笑)

結果、富田郷でも高槻旧城下町同様、昔からの道は結構そのまま残っている、
ということもわかってきました。
今は住宅地内の細い道ですが、江戸時代はおそらく結構大事な通りだったはず、
とかも見えてくる。

今日もそんな富田のまちを、昔の旅人気分で歩いています。
(へんなやつ)
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道路拡幅用地ごしに市場を見るの図
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細い道、水路、たえず上り下り、石垣、即ち富田の景
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本照寺さん真北より、このアングルはあまり見ないかも

追記1(言い忘れてました!風の谷さん、ありがとう☆)
富田は台地上のまちやから、
まちなかにいて、やはりなんか上にいる感じがあります。
視線の先が必ずと言ってよいほど平坦ではない。
これは、河内の富田林などにも言えます。
夕方とか、日の見え方とか、日のさし方とかも、やはり独特なものがある、
と思うのですが。
主に真宗の地内町という点も台地のまち同様、富田林と共通していると思っています。
(以前、ここでもお話しました)
富田林の方にそのお話をしましたが、ピンと来ないご様子でした。

追記2
よく出会う人がいるのです。まさか、同業者か?!
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by ti-ao | 2015-05-17 23:22 | とんだふうけい(高槻市富田) | Trackback | Comments(0)