マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

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2017年 06月 03日

高槻城二の丸跡北辺部の発掘調査 現地説明会へ~高槻城築城400年祭!?~

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高槻城二の丸北辺部の発掘調査。
ずっと気になっていました。
今日2017年6月3日(土)午前、現地説明会(高槻市教育委員会主催)。
知人に教えていただいて行ってきました。
高槻城は江戸幕府による公儀修築から400年。
まさに築城400年祭!(そんな祭はない?)のような年なのです。
高槻城への関心の高さ。ものすごい見学者の数でした。
概ね私よりご年長のみなさんだったようですが、中には結構若い方たちも。
すばらしい。


現地は今。
三の丸と二の丸の間の堀がすっかり表にあらわれている感じ。
先週の夕立で堀が一時的に復活したような状況になったとか。
いっそ、このまま、堀のままにしておいてほしいぞ!
雨水貯留施設を設けるようですが、堀を活用してそれに充ててもよい気がします。
堀に雨水を貯留した際、流出させるまでに雨水によって遺構が乱されるとか、
土地利用(配置計画)上の事情とか、課題はあると思いますが、
そのくらいの工夫はできるのではないでしょうか。
(貯留槽の容量が足りなければ、もっと堀を復元するとか?しめしめ・・・)
これはわが敬愛なる高槻市のみなさまへのご提案です。


堀の発掘現場から天守があったあたりを見てわくわく。
不明門akazunomonの基礎廻りや修築工事のための仮設土橋の跡が出て、
それと戦国時代の堀跡が江戸時代の堀跡の底から出てきたらしい。
仮設の橋ってゆうのが建築屋としてはおもしろいなと思いました。
(今と根本的にはやること考えることはおんなじってことかな)
戦国好き、高山右近公ファンとしては、戦国期の遺構はたいへん興味深いです。


堀を埋めていた土はもしかすると本来の城郭内部の嵩上げされていた
(あるいは元々丘のような地形だったのか)部分の土!
ではないのかなという気がするのですが、どうなのでしょうか。
どうせ堀を埋めるんなら、その手前にある丘みたいな郭内の土を切って埋めるのでは。
だとすると、今、敷地内に積み上げられている土って案外、意味があるのかも。
(例えば本来の二の丸の土だったとか、なにかいっしょに埋まってたとか)
(聚楽第と同じ文様の瓦は出土したようです)
まぁ、このあたりは専門家のみなさんがしっかりお調べになっている。
いつかあらためてお聞きしてみたいです。


行政がその気になったらすさまじいと、いつも思っていますが、
今日もそれを目の当たりにしたした気がします。
よい現地説明会だったと思います。
スタッフのみなさま、ありがとうございました。
今後の調査継続とよりよい高槻城復活に期待しています。


そして、帰りは高槻城と切っても切れない城下町へ。
300歳町家は陰影くっきり、佇んでいました。

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by ti-ao | 2017-06-03 16:52 | 大阪・三大城下町日記 | Trackback | Comments(0)
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