マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

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カテゴリ:地震のこと( 30 )


2018年 07月 01日

今回の大阪北部の地震は被害が比較的軽いと見られているところが非常に厄介で危険

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思わぬところに問題が隠れていたり、あとから被害がひろがったりしている。
今回の地震は、建築的被害などが比較的軽微だと思われていますが、
人の疲弊もモノの損害も隠れていて見えにくく、
それだけにかえって厄介で危険ではないかと感じています。

昨日の高槻市役所での住宅相談会では7組、次々とお話を伺い、その場でお答えしましたが、
ちゃんと気付くべきところに自分が気付き、それをわかりやすくお伝えできたのか、
ずっと頭の中をめぐっている状態。

住まい手が心配なさっている損傷個所がそのまま建築的な問題になっているケースもありましたが、
その点はさほど大きな問題ではなく、実はまったく別の点が問題だと思えるケースもありました。
見えるところだけではなく、見えないところや周辺にも注意が必要です。
たとえば、構造躯体は隠れて見えない場合がありますし、建物周辺の造成や地盤の状況なども重要です。
また、極端な破損部位があれば、なんらかの原因があると思われます。

部分的な損傷の補修だけで済ませるのか、その取合い部分も合わせて補修するのか、
さらに建築全体のバランス(特に構造)を見て補修を検討するのか、
そこからさらに将来的な耐震性能向上まで踏み込んで検討するのか、
ケースごとに実情に合わせて、みなさんも選択されていると思います。
後者にいくほど私たち建築士の必要性が高まると思われますが、
実際にはなかなか建築士を交えて検討することにはならない気がします。

構造的には問題ないと思われるお宅に飛び込みで営業して、
「この家はもう潰れる。危険だから、すぐに建て替えましょう」
というようなことを言った施工業者がいるようです。
(相談者の方から聞きました)
ご注意ください。

みなさん、わりと写真(プリントもしくは端末画像)を持参くださっていました。
願わくば、建物の全体の様子がわかるものがあると助かります。
もちろん部分も大事ですが、全体の状況が重要です。

高槻市ではもう1回相談会があります。(7月8日(日))
(以下、高槻市役所HPより抜粋)
「被災した住まいに関する専門家による相談会」
 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kinkyusaigai/soudan/1529978478147.html
 ●開催日時:平成30年6月30日(土)、7月8日(日) 各日13時~17時
 ●相談時間:1組 30分
 ●会場:高槻市 総合センター14階 C1401会議室
 ●相談対象者:戸建て・長屋住宅をお持ちで、住宅が被災された方
 ●参加・申込方法:事前予約制 (先着順)
  申込先:高槻市住宅課 072-674-7525
  電話、または窓口にて受付いたします。 相談は無料です。
 ●申込受付期間:平成30年6月27日(水)~7月6日(金)【土日除く】
 ●受付時間:8時45分~17時15分
 ※相談会に参加される方は、被災した住まいの現況がわかる写真や図面、
 その他参考となる資料を持参いただきますと、相談が円滑に進みます。
(以上、高槻市役所HPより)


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by ti-ao | 2018-07-01 15:02 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 29日

高槻市での住宅相談会

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地震で被害を受けているけど、あるいは、心配があったり、困ったりしているけど、
補修や再建について、具体的にどうすればいいのかわからない。
さらに、行政による支援策についてもあまりご存じない。
場合によっては、なにをどう聞けばいいのかもよくわからない。
このごろ地元高槻で家や外構のお話をお聞きしていると、こういうことが多いように思います。

私たち建築士の目の届く範囲であれば、ご意見したり、情報をお伝えしたり、
多少なりともお手伝いできるかもしれませんが、到底行き渡ることもない。

市役所で住宅相談会が開かれます。
なにかこういうことでお困りの場合、その場で解決はしなくても、
解決の糸口は見つかるかもしれません。

(以下、高槻市役所HPより抜粋)
「被災した住まいに関する専門家による相談会」
 http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kinkyusaigai/soudan/1529978478147.html
 ●開催日時:平成30年6月30日(土)、7月8日(日) 各日13時~17時
 ●相談時間:1組 30分
 ●会場:高槻市 総合センター14階 C1401会議室
 ●相談対象者:戸建て・長屋住宅をお持ちで、住宅が被災された方
 ●参加・申込方法:事前予約制 (先着順)
  申込先:高槻市住宅課 072-674-7525
  電話、または窓口にて受付いたします。 相談は無料です。
 ●申込受付期間:平成30年6月27日(水)~7月6日(金)【土日除く】
 ●受付時間:8時45分~17時15分
 ※相談会に参加される方は、被災した住まいの現況がわかる写真や図面、
 その他参考となる資料を持参いただきますと、相談が円滑に進みます。
(以上、高槻市役所HPより)

たとえば、罹災証明、被災建築物の応急危険度判定(高槻市の受付は終了)、
住宅再建への補助など、行政の対応も具体化してきました。
日々、情報が更新されて整っていく感じなので、役所にご確認いただくのもよいと思います。
大変かと思いますが、どうかみなさん、がんばってください。
なお、住宅相談には私も参加予定です。
(写真は1か月ほど前の高槻市内のようす)



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by ti-ao | 2018-06-29 22:37 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 24日

続・北大阪の地震のこと(茨木・高槻)

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明日、地震から1週間。みなさん大丈夫でしょうか。
書かないつもりでしたが、後年のためのメモとして書いておきます。

●2018年6月21日(木)のこと
 被災建築物の応急危険度判定作業に参加。
 派遣先決定時点では地元高槻への派遣要請がなかったらしく、お隣の茨木市に派遣されました。

 9:10 a.m. 茨木市役所入り。
  遠く鳥取県やお隣兵庫県からもたくさんの判定士のみなさんが駆けつけてくださっている。
 10:20 a.m. ミーティングの後、二人一組で班を組み、各エリアへ移動。
  私たちの班は役所から少し離れていたため自転車をお借りして移動する。
 10:50 a.m. 判定担当エリアへ到着。判定依頼のあった住宅の判定作業に入る。
  移動中、まちの各所でガス復旧工事の現場に出会う。
  業者の車を見ると横浜とか関東からの応援も多いことがわかる。
  はやく復旧しようと皆さん必死だ。
  他所からの応援の人が多いせいか、工事関係者に道を聞かれたりもした。
 12:00 p.m. 昼食。近くのコンビニでおにぎりを買い、公民館のベンチでいただく。
  神戸の時は小学校の校舎で、岩手の時は川べりのベンチで、こうして食べたなと思い出す。
  ところで、今回、グランドの端になぜかD51(蒸気機関車)があった。
 4:00 p.m. 市役所へ戻り報告。
  この日は5件(軒)を判定。構造は木造、鉄骨造、RC造の各種、形態は戸建て住宅と集合住宅。
  主に外装材と建具廻りの欠損が多い印象。水路際の擁壁なども一部、地震で動いた形跡あり。
  移動中、瓦が落ち、土壁が崩れている古い住宅もよく見かけた。
 7:10 p.m. 地元の方からご自宅の被害状況について連絡あり。
  危険度判定作業の取りまとめを行っている大阪府建築防災課耐震Gへ電話。
  役所の皆さんも夜おそくまでがんばってはる。
  高槻も被害の多いところなので、ぜひ、そちらへ向かってくださいとのこと。
  翌日は予定を変更して、そのお宅に伺うことにした。
  自分自身はこれまで被災地とか被災者という言葉を意識して使わないようにしてきたつもり。
  しかし、わが高槻も私たちも、今はそうなったのだなと思った。
  出会う人たち、話す人たちのお気遣いがありがたい。 
 
●2018年6月22日(金)のこと
 昨夜連絡のあったお屋敷に伺うのは午後からをご希望。
 午前中は気になっていたことを確認する。

 11:15 a.m. 高槻市某保育所へお電話。外構のコンクリートブロック塀の状況について確認する。
  以前、施設点検を行った際に気になっていた保育所がいくつかあり、
  役所に電話で聞いても状況が把握できなかったため、直接見に行こうとした。
  しかし、距離が離れているため、文明の利器(今さらの電話)を使うことにした。
  その保育所は学校と接しているためもあり、すでに役所の方で対処済みとのこと。
  (危険範囲への立ち入りを制限)
  役所は学校の塀を早急に確認していることはわかっているが、保育所がどうなのか不明。
  ほかに気になっていた保育所については、所長先生から連絡して対処してくださることになった。
  役所にしてみれば大きなお世話でしょうが、役所も手一杯の状況下では、気付いた者が確認する
  ということもあってよいと思います。

 1:00 p.m. 昨夜、ご連絡いただいたお屋敷へ。
  まずお宅の前に行ってみておどろく。私は地震当日も駆けつけて、ここを外から見ている。
  地震の当日にはなかった瓦のずれや外壁の損傷、クラック(ひび割れ)が多数生じている。
  木造住宅(建築)は、壊れながら持ちこたえる、というのが持論です(表現がどうなのか)。
  まさにそれを示すような状況。地震後にぜひ中も見せてほしいと申し出なかったことを後悔。
  とにかく、お家の皆さんが気になっていることを、まず一通りお聞きする。
  その上で、私自身も家の内外、足元、一部床下や小屋裏も見てまわって状況の調査。
  概ね状況を把握。
 4:45 p.m. 撤収。
 6:30 p.m. 事務所に戻って、市役所に行政対応の情報を確認。
  今日の調査結果(被害状況)を図面上にまとめる。
  かつて実測図を作成した際、こういう時に役に立つと思っていたが、
  ほんとうにそうなってしまった。
  図中に朱書きするのに心が痛い。半分は勢いで刻むように朱を入れる。
 12:00 a.m. 写真によりさらに状況を確認。
  今回の被害状況から、今後の対策について方針を考える。
  冷静に全体を見きわめる必要がある。
  重要なポイントがどこなのか。急ぐのはどこなのか。

●2018年6月23日(土)のこと
 このところボランティア作業続き。
 仕事の段取りや状況整理を行う。いい加減実務に戻らねば、食べていけない。
 そのあと自宅の整理など。
 なんか部屋が少し狭くない?って思った、ら、家具が7~8cmこっちに動いていた。
 仕事仲間と電話していて、そっちも動いてるんちゃう?って聞くと、
 ぅわ、ほんまやってなりました。

まとまりないですが、このところの状況です。
お気遣いくださったみなさん、ありがとうございます。
私はなんとかやっていますので、ご安心ください。

なお、フェイスブックのメッセンジャーはどうも不調で使っていませんので、
ご連絡いただいてもお返事できないと思います。ご了承ください。


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by ti-ao | 2018-06-24 16:30 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2018年 06月 19日

北大阪の地震のこと(高槻市内)

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みなさんどうしているでしょうか。
私もなんとかやっています。
ご連絡くださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。

●昨日、2018年6月18日(月)のこと(メモしておきます)

7:58a.m. すごい地震。阪神(神戸)の時以来こわいと思った。
 (報道によると、震度6弱、震源は高槻市)
 家具転倒、ものがあっちこっちに散らばって足の踏み場なし。
 窓外に木造住宅の屋根瓦がずれているものが数軒見える。
 電気は大丈夫。水道は茶色く濁り、やがて断水。ガスも使えず。
 固定電話はとんでもないところへ飛んでいたせいか使えず。

8:30a.m. 岩手県釜石市の建築士Kさんよりお電話。
 「生きてますか?」「生きてます」
 東北での地震の際、現地での被災建築物応急危険度判定作業でご一緒したご縁。
 心強く、ありがたいと思う。
 
 地元高槻中心で知人に連絡。固定電話は不通。
 余震もあるが、他地域が揺れる可能性もあり。お互いに注意喚起。

 救急車のサイレンとヘリの音がずっと続いている。

10:30a.m. 業務上の連絡と電話打合せ。待ったなしの件もある。
 当日と翌日の他の業務予定は延期決定。
 ほか、状況の確認など。連絡絶えず。

1:00p.m. 電車不通のため、歩いて出かけようと考えていたが、
 移動距離の長さを考えて、故障中の自転車を修理して出かけることにする。
 
 ヘリの騒音で町内放送が聞き取りにくい。

3:30p.m. 自転車屋へ戻る。マスターは自宅が隣町。少し話す。
 幹線道路は混んでおり、田舎道から高槻の中心市街地へ走る。
 市内中心を流れる芥川(淀川へ流入)両岸至近の集落では、
 古い民家の屋根や壁に損傷が多い印象。

 旧城下町や芥川宿など市街地の建物と人は被害が少ない印象。
 ただしモノが散乱してご苦労が多い。それと水とガスのない不便。
 日ごろお世話になっている町家も見てまわる。
 みなさんご無事でしたが、部分的に破損がある。
 中には家の方がお気付きでなかったものもあり。(お伝えする)
 また自己負担で補修なさらねばならない。大変だ。

 なお、先日、仮引越しをお手伝いした芥川宿のお地蔵さま、
 置き場所に多少不安があったが、無事だったとのお話。
 (前夜も地元の方と話をしていた矢先のことでお互い気になっていた)

4:30p.m. 高槻市役所。通常窓口業務は休止。
 国交省(地方整備局)とメディア関係の人たちが多い。
 知り合いの市職員の方たちと少し話す。
 いずれ応急危険度判定作業がはじまるのはまちがいないと思われる。

6:00p.m. 富田へ。知人と話す。
 気になっていたお家の方とも再会してごあいさつ。
 ご無事でよかった。

4年ぶりの自転車(坂と向い風のおまけ付き)で足がぱんぱん。
阪神と東北の地震を思い出さずにいられない一日だった。
火と水のいらない夕食を済ませてニュースを見る。
なかなか眠れない。

●今日、2018年6月19日(火)のこと少し。
余震はありますが、こちらは水やガスも戻りました。片付けもやっています。
電話も見つかりつながる。(正確には外れたケーブル端子が発掘された)
まだまだおかしなところはありますが、それでも日常に戻ろうとしている。

そんな中、応急危険度判定の要請がありました。
阪神も東北も正式な要請を受けずに自主的に行っていたので、
今回はじめて正式要請に応じる形での参加です。

まさか地元で危険度判定をやるとは思わなかった、などとは決して言わない。
私たちは皆、そういうことも十分あり得ると思ってやってきた。
ただ、そういうことがないことを願ってきました。
それが今回、とうとう破られた。

視界に入る屋根の青(ブルーシート)が目に痛い。
避難所にいてはる方もいらっしゃるようだし、まだインフラが復旧していない地域もある。
まだまだ大変かと思いますが、みなさんも気をつけてがんばってください。

(あくまでも自分が見た範囲での私見をメモしたものです)


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by ti-ao | 2018-06-19 18:30 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 10日

昨日の記事への追記

罹災証明の判定(役所)と被災建築物応急危険度判定をもう少し合理化できないでしょうか。
これらは目的が異なるため、別々に調査をしています。

例えば、5年前の岩手県の場合、公費撤去にかかわる全半壊の証明は、
危険度判定士の報告書で浸水範囲がわかるので、
(1階天井まで浸水なら全壊、1階床高1m以上浸水で半壊の罹災証明が出ると聞いていた)
それをもってすみやかに全半壊の罹災証明を出せたのではないかと思うのです。
担当した危険度判定士にヒアリングしていただいても構いません。
役所の調査担当も負担が軽くなるはずです。

5年前、くる日もくる日も様々な手続きを求める長蛇の列が絶えませんでした。
被災した方たちの負担が少しでも減らせるように、
少しでもはやく生活再建に取り組めるように、工夫すべきことがあります。
この話、まずは建築士会のみなさんにも相談してみます。

考えてみれば、危険度判定も行政からの派遣要請で動くはずです。
ということは、罹災証明も危険度判定も行政の仕事なので、
行政内でうまく調整していただける可能性もありますよね。
そっちもあたろうと思います。

ちゃんとルール作りまでできなかったとしても、
普段から、こういうことを話し合っていれば、
いざという時、柔軟に対応できる可能性が出てくるはずです。
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by ti-ao | 2016-03-10 22:52 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 09日

岩手での活動記録(2011年4月)

東北の震災からまる5年。
2年ぶりに岩手県建築士会釜石支部の方と電話で話しました。
お元気そうでした。

2011年3月11日の地震の後、4月にボランティアで岩手に行きました。
その時のメモをもとに簡単な記録を残しておくことにしました。
(当時も感想などを書いてるが、具体的な作業記録はしていなかった)
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~以下、当時のメモより~

●2011年4月10日(日)16:00ごろ 高槻市内を出発。友人Jと彼の車で出る。

●4月11日(月)初日。曇り一時小雨。冷え込む。
 5:00a.m.岩手県遠野市の体育館着。ここが宿泊地。受付開始8:00まで車中で待つ。
 午前:車で岩手県建築士会釜石支部へ。遠野まごごろネットを交えて相互の活動について情報交換。
 午後:岩手県大槌町ボランティアセンター会合(まごごろネットによる行政との調整、床下消毒の方法打合せ)
   日没、遠野市の体育館に戻る。Jさんの知人東京勢1陣到着。体育館(暖房なし)には寝袋で29人宿泊。
   大阪の真冬のように凍える。建物のまわりにはかき上げられた雪が積もっている。熟睡すると凍え死にすると思った。
   (避難所で暮らすみなさんのことを思う・・・)
 所感:神戸の時とは壊れ方が違う。被害は地震力より津波によるものが大と感じる。
     ものすごい力で一方方向へ押されている。異様な壊れ方。
     モノが流されており、その場で倒壊したのとは異なる。

●4月12日(火)2日目。晴れ。日中は少し暖か。夕方から冷え込む。
 9:10a.m.釜石市災害復興本部(釜石駅複合施設シープラザ内)。応急危険度判定に準ずる(被災住宅相談)作業に参加。
 午前:釜石市中心市街地 3件(木造住宅2、S造住宅1)、釜石支部の親分とJさんと3名で作業。
 午後:同上 3件(S造1、RC造2)、Jさんと2名で作業。18:00本部にて報告。19:00車で遠野へ戻る。
   Jさんも私も風邪気味。シャワー(風呂)がないので着替え、ひげそり。頭は坊主にして大阪を出ているので洗面で丸洗い。
 所感:相談依頼100件に対して私たちを入れて4チームで対応。人手不足。応援要請はしているが応答なしとのこと。
   津波は必ず2階の床から800~900mmの高さまで達している。1階は内外装及び建具が破損、2階は泥だらけ。
   隣家が倒れかかっているケースもあり。
   がれき、仕上等で躯体が見えないため詳細調査が必要となる場合が多い。家の人にははっきりしたことが言えず申し訳ない。

   
●4月13日(水)3日目。
 4:40a.m.大きめの余震。音がすごかった。揺れは感じず。遠野は岩盤の上にあり、そういうものだとの地元の人の話。
 6:00東京勢2陣着。Jさんの車で釜石へ。危険度判定に準ずる作業の続き。
 午前:釜石市沿岸部及び山の手 3件(沿岸鉄工所S造2、木造2階建住宅1、木造住宅隣家擁壁崩落)、釜石支部Sさん、Jと私の3名。
 午後:市街地 4件(木造平屋住宅1、木造2階建住宅1、S造商業ビル1、業務ビル1)同じ3名。
 所感:山の手。津波は来なかったが地盤がゆるく、ひな壇状造成宅盤が沈下していたり、土留め擁壁や基礎に被害あり。
   伝統木造の家もあった。赤ちゃんを抱えた若いご夫婦が買ったばかり。冷静でいる努力。
   異常な強風が常に吹く。わりと多いらしい。津波後の土砂が巻き上がってマスクやゴーグルも効かず。
   釜石から遠野への帰路、いつも渋滞。あるところまで来ると嘘のように津波の痕がなくなる。紙一重。

●4月14日(木)4日目。寒さが少しゆるむ。
 未明にすごい余震。やはり音がすごいが揺れは感じない。J車で釜石へ。危険度判定に準ずる作業の続き。
 復興本部で、依頼先リストと住宅地図を渡され、携帯で複数件連絡を取って1日の予定を立てる。
 午前:釜石市市街地 1件(S造2階建住宅)
 午後:同 3件(1階RC造に2階木造増築1、木造2階建住宅1、木造2階建にS造2階建増築兼用住宅1)
   釜石支部の親分から、明日は大船渡などを見てまわってはとお話いただいたが、フルに活動させていただくことにした。
   夜、東京勢出立。キャンドル点灯して見送る。まごころネットとキャンドルの話。
   青森からボランティアで来ている人は、こちらに移住すると言う。確かに、よいところだと思う。なんとなくわかる気がした。
 所感:他の建築士のみなさんは、住民さんに専門用語で簡潔に説明なさる傾向がある。またご自分の所属などもあまり説明しない。
   住民さんと接する時は、私の場合は言葉が大阪弁でもあるし、自分が誰であるかちゃんと説明して、
   建物についての所見は、わかりやすくていねいに、具体的にどうするのがよいのかを説明するように心がけた。
   (脱・専門用語)

●4月15日(金)5日目。晴れ。寒い。
 8:30 J車で発。
 10:00~11:15釜石本部にてミーティング。岩手県内陸部の建築士12名応援に駆け付ける。
  ・今回は通常の応急危険度判定とは異なる。(全戸ではなく希望者のみ)
  ・罹災証明(全半壊)を本部に持参すれば、補修費52万円補助。
  ・津波被害(1階天井まで水没なら全壊、1階1m以上なら半壊)の場合、撤去費用は全額公費負担。
  被災した建築を補修するより建て替えた方が生活再建しやすいという考え方もできる。
  (撤去費用公費負担は期間限定であるため、判断材料ははやく提供したい)
 午後:危険度判定に準ずる作業。釜石市市街地。K氏、Jと私の3名。
   4件(木造2階建住宅1、S造3階建と木造2階建1、RC造の社協建築1、RC造一部S造の中学校全体1)
   応援が来たため、今日で作業を切り上げてひきあげることにした。
   16:15 所属の大阪府建築士会へ電話で報告。(局長N氏)
   学校のグランドで野球をする子どもたちを見かけてなぜかほっとした。
   桜が少し開花。モクレンがきれい。
 所感:
  ・神戸の時の経験から待っていても応援要請は届かないと判断し、自分で釜石支部の連絡先を調べて電話、
   ぜひ応援に来てくれというお話を確認の上、自発的に友人と現地に向かった。
   県内の建築士のみなさんが応援に来られなくても、ご自身や周囲に被災した方もいらっしゃるかもしれず、
   一切責める気はなかったけれど、「建築士会と事務所協会とどちらの名義で参加するか決まらず遅れた」と
   ある方がおっしゃって、思わず暴言を吐いてしまった。(反省しています)
   組織云々に縛られず、自分が必要だと思えば、そして、相手が求めていればなおさら、さっさと来ればいい。
  ・物資はじゅうぶんにある。救援物資もあれば、スーパーやコンビニも品物はあった。
   店の人もどんどん買いに来てほしいと言っていた。
   物はもういいから、人と金がいるのではないかと感じた。
  ・ボランティアの宿泊環境の向上をお願いしたい。
   (これは当時の所感です)

●4月16日(土)6日目。
 9:00遠野発。Jの車で。すっかり見慣れた遠野の景色をあとにする。
 →大船渡、陸前高田、気仙沼を通る。ほんの少しの盤高の差などで津波被害がまったく違う。
  一面、荒地、ホコリ、がれき。信号がないため警察(他県の)が交通整理。自衛隊の活動が目立つ。
  (宿泊していた体育館の隣にも駐屯していた)
  自衛隊はがれきから人をさがし出しているいると聞く。気が滅入って二人とも無口になる。
 →ある公的機関?の人から福島原発レベル7の情報と助言をいただき、北陸、日本海へと迂回する。
  (往路ではなぜか福島沿岸部が見えるエリアを通行できた。沿岸の空が工業地帯みたいに光っていた)
  福島も福島の人たちも決してわるくない。しかし、政治はこういう客観情報をちゃんと広報してほしい。
 →一関のサービスエリア。風がほこりっぽくなく、息苦しくもなく、鼻や目も痛くない。
  ずっとあちらでがんばっている人には申し訳ないけど、忘れてた心地よさ。
 →東北自動車道から山形自動車道へ。山形の寒河江、湯殿あたりは雪と針葉樹の景。
  うつくしい日本の景。心が洗われてゆったりする。
 →鶴岡(山形)から日本海沿岸を走る。何もなくて、海が水平線まで見えて、まるい。
  すこし厳しくて冷たい、波の荒い海に、純真なすがしさと美しさを感じた。
 →車は運転を交替しつつ走り続ける。(ほとんどJの運転)途中、西宮、芦屋、尼崎の消防車輌隊と並走。
  (各地の消防車輌や自衛隊の車輌とよく出会った)

●4月17日(日)7日目。
 未明、京滋バイパスへ。関西に入ると二人とも元気になる。
 2:00a.m.高槻に入る。スタンドで給油と洗車。すごいドロドロだった。

●4月22日(金)帰阪後。
 5日目に危険度判定に準ずる作業でおじゃましたお宅では、1階ががれきでふさがっており、
 ご年配のご夫婦が、がけ地から2階ベランダへ乗り移って、椅子に乗って手摺を乗り越えて、
 ご自宅への出入をなさっていた。
 判定作業の次の予定が入っており、その手当てができず帰阪したのは失敗だった。
 遠野まごころネット副代表(当時)に電話。
 「わかりました。すぐに対応しましょう」と言ってくださった。

少し長いですが、自分の記録もかねて書いておきます。
ほぼ、当時のメモ原文をもとにしています。
よって、今とは状況や認識が異なる場合、私の記憶違いもあり得ます。ご了承ください。

今は危険度判定士の連絡網も整えられていますが、
いざという時に、うまく機能するのかどうか。
もうこういう経験はしないことがいちばんです。
でも、備えはするべきなのでしょうね。

あまり見たくなかった写真やメモ。
久しぶりに取り出しました。
少し疲れたので、今回はここで筆をおきます。
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by ti-ao | 2016-03-09 23:36 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2015年 01月 14日

20年。

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被災建築物応急危険度判定士の連絡訓練。
今日の午前中にありました。
まぁ、連絡の模擬演習みたいなものです。
今までは連絡網さえなかったので、少しづつは進展してるのかな。
実践でどれだけ役に立つかどうか。

過去、神戸の東灘と岩手の釜石で危険度判定の作業を経験しています。
今までは、待っていたって要請なんかないから、
自分で行先を決めて、自分で現地と連絡を取って、自分で行きました。
(岩手の場合は、友だちといっしょに行動。車に乗っけてもらいました)
今度はもしかしたら、演習通りに要請に応じて組織的に動くこともあるだろうか。
でも、もう経験せずに済めば、それがいちばんいい。
ああいう状況というか、人の顔は見たくないし、無力感も味わいたくない。
やはりいつまでも残ってしまうのは、人についてのことですね。
自分が人だからなのでしょう。

さっき写真の話を友だちとしていました。
神戸の時、写真は一枚も撮れなかった。
報道の映像そのままの状況が目の前にあって、
この上何を自分が写真に撮る必要があるのかと思いました。
神戸の人の顔見てるととてもそんな気にもなれなかったですしね。
そうそう、当時は今みたいにデジカメやケータイもなかった。
レンズ付きフィルムの時代でしたね。

20年経って、ようやく、東灘を歩いてみようかという気になりつつある。
やっと、そんな感じなのでした。

連絡訓練の夜。
ぐらっと揺れましたね。
ほんまに、天は、見ているのではないか、
わたしたち人間のさまを、と思うことがある。
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by ti-ao | 2015-01-14 23:02 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 11日

あれから3年、そこで浮かんだ深い「?」

もうすぐ、あれからまる3年。
モノも人も集まらず、復興住宅さえ建てられない、という。
たしかに、災害危険区域の規制などで、
元々住んでいた場所で生活再建できないという事情もあると思う。

けど、
せめて復興住宅ぐらいは早く建ててほしい。
いつまで仮設住宅にいらっしゃる人たちの、
そこでの暮らしが続くのでしょう。
困っている人がいつまでも困っている。
なんとかならないのでしょうか。
職人さんがいないとか、建設資材がないとか、
なんか、解せない。おかしい。

比べてもあかんというのはわかるけど、
神戸の震災のあと、
震災復興以外の工事物資がなくなり、工事の手がいなくなったことを思い出した。
あの時は、みんなが神戸の復興の仕事に集まったのだと思う。
人が集まって動けば、それに伴い、必要な物資も流れるようになるはず。
東北はその逆?

何かが、おかしい。
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by ti-ao | 2014-03-11 01:35 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 08日

岩手・釜石の今(お聞きした話)

地震から3年。
今、釜石や大槌のみなさんはどうしていらっしゃるだろうか。

向こうでお世話になった大先輩建築士さんに、
昨日、お電話してお聞きした話です。

「型枠(仮枠)大工と鉄筋工がいない」
つまり、鉄筋コンクリート造の工事ができないことを意味する。
その結果、あちらでは鉄骨造の採用が増えている。
なるほど、釜石なら鋼材は豊富そうなイメージがある。
防潮堤工事に職人さんが取られているのか、
はたまた、東京あたりの工事に取られているのか、
定かではないようです。
報道でも、東北での公共工事の入札に参加する施工業者がいない、
という記事を見かけます。

ちなみに、鉄骨と鉄筋の違いは、
H型やL型、C型、ロ型等の鋼材が鉄骨で、これらを直接、柱や梁にするのが鉄骨造。
丸い鉄の棒(節がないものとあるものがある)が鉄筋で、これを組み合わせて編み、
コンクリートの中に埋め込んだものを柱や梁、床、壁にするのが鉄筋コンクリート造。
メジャーな報道番組などでもよく混同している。

それと、「今は内装工事の手(施工者)もいない」ようです。
材としては断熱材も手に入らないとか。

人手や材料がない、というのでは、さらに再建が遅れる懸念が強まります。
この先、東京五輪のために、さらに、人も物も首都圏に行ってしまうのでは?
なんか心配になってきました。
人と物を東北の復興に振り向けるには、どうすべきでしょうか。

津波が及んだ範囲などで、災害危険区域に含まれてしまうと、
家を建てることができなくなったりします。
だから、ご自分の土地に帰って家を建て直すことができない。
大変なことだと思います。
ただし、地域によっては条件が緩和されて、住める場合もあるようで、
私が危険度判定作業を担当したお家も1軒、再生されたと教えてくださいました。
たくさんの中のほんの1軒でも、再生できて、少しほっとしました。
あの時、お会いしたみなさん、今はどうしていらっしゃるのか。
気になっているご家族もいらっしゃいます。
お元気でいてくださることを願っています。

こちらでの状況が落ち着いたら、あちらに行って、
何かお手伝いできることがないか、自分で確かめたいと思っています。
やはり、少し時間のかかる話になりそうです。
予想していたよりも、さらに長い話になりそうです。
復興のために一人一人ができることは、これから先もまだまだ出てきます。
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by ti-ao | 2014-03-08 23:35 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)
2014年 03月 07日

建築物の応急危険度判定の話など

昨日、応急危険度判定士のお話をしたので、
少しそれに絡んだお話を。

地震や津波などの災害で建物が被害を受けた場合、
特に、今回は住宅を想定してお話します。

被害を受けた場合(かつ、家の人が申し込んだ場合)、
私たちのような応急危険度判定士が判定に伺います。
しかし、この判定は純粋に建物の危険性のチェックをするので、
役所の罹災証明の調査とはまったく別です。
過去の活動でも、よく家の人から質問されました。
役所の罹災証明の調査は、役所のスタッフが行います。
さらに、保険会社の査定調査も当然、まったく別です。

これらの調査は各々、目的が異なるため、
見るべき点も立場も異なります。
しかし、災害で被害に遭われた家の人のお立場から考えると、
これらをなんとか集約したほうがよいのではないかと思ってしまいます。
少なくとも、役所の罹災証明と応急危険度判定はリンクできると思う。
いや、むしろしたほうがよいと思えますが、いかがでしょうか。
被災して、家にも住めないような状況の方のために、
一刻も早く判断をお示しして、必要な生活再建になるべく早く着手できるようにする。
似たようなややこしい調査が何通りも押しかけて来て、時間がかかったのでは、
たまったものではないという気がします。
それでなくてもおつらい状況です。
対応は迅速に迅速にというのが基本だと思います。
時間がかかれば、それだけ手当も遅れて、ご負担がきつくなる。
このことを肝に銘じていなければならない。

応急危険度判定。
実際に家を見に行っても、肝心の構造部材の状況が目視できないことが多い。
一体、自分は何のお役に立っているのだろうかと、無力感を覚えます。
一見、大丈夫そうな建築でも、実は構造に重大な損傷が見つかり、
一切立ち入ってはならない重篤な事例を見つけ出し、
誰かを危険から遠ざけることはできるかもしれない。
この判定作業は、そういうフルイにかける作業なのか。
実際に関わった実感です。

過去の判定作業では、1日に5~6件見て回りました。
家の人は心配そうに私たちの作業を見守っていらっしゃいます。
作業後、判定結果をお伝えする時、胸から胃にかけて、
何か黒い重い塊に圧迫される感覚を覚えます。
「このあと、どうすればよいですか?」
という家の人の問いには、できるだけ具体的にお答えしますが、
状況的に、それらがスムースに進まないことが想像され、
本当にお互いがつらい話し合いになります。

特に、先の岩手での判定作業については、
家の解体について公的補助が受けられる期間が限定されていたため、
その判断を急ぐ必要もあり、家の人にとってはとても重要だった。

応急危険度判定は、実はまだ歴史が浅い。
今お話した中にもあるように、まだまだ改善していく余地があります。

ちなみに、建築士には、実務能力向上に向けた学習システムがあります。
岩手から帰って何か月か経った頃、判定作業に従事した建築士は、
このシステムの単位を付与されると聞きました。
実際に判定させていただいたお家のみなさんのお顔が浮かんできて、
とてもじゃないけど、そんなもの受ける気にはなれなかった。
私たち建築士、判定士は、あの家のみなさんのために何ができるのか、
そのことを問い続けていなければならないと思う。

神戸の地震の時、先輩建築士がある家の判定結果をお伝えした途端、
それまで気丈に明るく振舞っていた家の人がお泣きになった。
それでも私たちの身を案じてくださった。
あの笑顔の危うさを知ったことが、いざという時の行動の根底にあります。

今日、岩手でお世話になったあちらの建築士会の大先輩に久しぶりにお電話しました。
お元気そうだった。
そのお話はまた別の機会に。
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by ti-ao | 2014-03-07 15:50 | 地震のこと | Trackback | Comments(0)