マチヤ・テラス通信~高槻の町家を照らす~

fukei.exblog.jp
ブログトップ
2007年 11月 25日

「たかつきの波打ち際」~奥天神・古曽部あたり~

d0129713_21393952.jpg
そこに行けば、波の先端が見えるかもしれない。


このまちに海はない。
もし、ここで、多くの人びとの思いの波であふれる市街地を海にたとえるなら
(お笑いになるであろうか)。
夜の市街地、その光の海を見ていると、
このたとえもさほど不自然なものではないように思われる。

山間の自然の中、まちなかの家並みの中。
ともすれば人の心は、そこへ向きやすい。
そういう点では、この山とまちのちょうどハザマ、
「山とまちが出会うところ」に誰かが心を向けたことは、
感覚的にまちがってないという気がする。

ここでは、市街化(開発)の波の手が里の風景を洗おうとするのが見える気がした。
市街化は必ずしも悪ではないと思う。
しかし、今ある風景や人の生活、その歴史との共存や、
よりよい再生を顧みないそれはどうであろう。

ここで一人一人に何ができるか、時に泳ぎ、時に波に揺られながら、
波間に埋もれようとする宝ものをさがすように、
おとなもこどももいっしょになって探ってみるのもわるくない。

この波打ち際は、実は、おもしろい可能性を秘めているのかもしれない。
風景を思い浮かべながら、今、そんなことを考えている。


(2007年10月19日 メモより)
d0129713_21395696.jpg

[PR]

# by ti-ao | 2007-11-25 21:40 | 波打ち際通信 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 25日

~たかつきの波打ち際~「月」

d0129713_21323687.jpg
d0129713_21325495.jpg


寺の石段を降りる。
ここはまちの波打ち際。
一人でさまよってみる。

竹林、山林、土の道、古い民家その軒の並び、田畑。
その間をぬう細い小径は、曲がりくねり、上り下り、
そのたびに風景が変わる。
市街地から一歩入っただけで、古い里にやって来た感がある。
これをうれしく思う。

幹線道を渡り、結界を越えたように感じつつ、
いつもの市街地のにぎわいに戻る。
そこで、なつかしい人に再会。
かつて廃油キャンドルをいっしょに作った仲間。
彼女は私を見て「思ったよりやつれてなくてよかった」と言う。
(笑)

デパート屋上のパーキングへ。
そこからは、さっきまで歩いていたあたりが一望できる。

まるくぽっかり、月が笑っていた。


THE DAVE BRUBECK QUARTET 「PAPER MOON」を聴きながら

d0129713_21331539.jpg

[PR]

# by ti-ao | 2007-11-25 21:36 | 波打ち際通信 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 25日

~たかつきの波打ち際~「伊勢寺モザイク」

きのう。
参ろうと、ふと思った。
d0129713_2129515.jpg
d0129713_21292659.jpg
d0129713_2129455.jpg

九月にご住職を訪れて以来の伊勢寺。
相変わらず、ひっそりとした佇まいは清か。
ただしづかに秋の色彩に包まれている。
守り続けるご苦労は想像をはるかに上回ると思われる。
これほどの「こころ」があろうか。

古い屋根瓦を背に、木々は思い思いの色をまとっている。
まるでモザイク。
そう思った時、東山魁夷の画文を想起した。
[PR]

# by ti-ao | 2007-11-25 21:30 | 波打ち際通信 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 15日

マチヤ☆考

d0129713_7342549.jpg
私は必ずしも、古いマチヤは現状のまま残すべきだ、
とは考えていない。

千何百年の昔、創建当初の姿を、ほぼ保っているような、
例えば寺社なら、
解体修理によって元の姿のまま残すこともあろう。
これには大変な勇気と苦労が必要だと思うが。

しかし、百年~数百年の間、住まいながら、使いながら、
その時々に手を加えて保たれてきた住宅に関しては、
少しづつ変化を加えてきた歴史がすでにそこにあり、
少なくとも原型のままではない。
常に変わり続けている。

では、何を残し、何を変えるのか、ということになる。
ことに現在も現役で住まい使われている住宅の場合は、
今とこれからの歴史においても、
これまでと同じく変化することもふしぎではない。
要するに、何を残し、何を変えるのか、
それを昔から住まい使ってきた先人のこころと共に考える。
これが大事だと思う。
ところが、この国の建築事情からは、
このことが圧倒的に欠落している。

場合によっては、構造をまったく見直して建て替えることもありえよう。
是非ではなく、実際に住まい使い続ける観点からは、
現実的事情であり、当然ありえることと思う。
しかし、その時に、例えば、
配置や意匠(デザイン)にこれまでのイメージを継承して残す。
部材(構造・仕上共)も今あるもので使えるものは極力活かす。
そういう配慮と工夫にこころを配ること。
それこそが大切なことなのかもしれない。
何が何でも今のまま残す、ということではない。
こだわるポイントが問題なのだと思う。

マチヤについて、私は持ち主ではなく、住まい手でもないから、
あまりこの種の考えは示さなかったが、
今朝は少し考えを述べてみました。

私は建築士であり、保存運動家ではない。
やはり新しいモノをつくりつづけるという意志が常にこころにある。

古いものを新しくすることは悪ではない。
その時に、何を守り何を継承するか、それが大事。
これは古いマチヤのみならず、すべての建築について、マチについて言えると思う。
つまり、風景について、言える。
この点がしっかり考えられていたら、今のマチも風景も違ったものになっていたであろうに、と思う。



新しい考えではなく、いつも思っていることなのですが。
[PR]

# by ti-ao | 2007-11-15 07:37 | 風景カフェ | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 13日

マチヤ・テラス通信vol.1

今思えば、これまでなかったのがふしぎ。
「マチヤ・テラス」についての印刷もの。
マチヤおばあちゃんへのお礼の感想文集のみぞ唯一。

基本的には、告知はせず、季節の風物みたいになればと思っています。
そのために、こういうものが必要なかった。

これは、知人や照らす場所のご近所に配ることを想定してつくってみました。
原版は、はがきです。
あぁ、郵送してもいいな。




d0129713_2583996.jpg


この冬も、そろそろです。
[PR]

# by ti-ao | 2007-11-13 02:41 | マチヤ☆テラス(活動日記) | Trackback | Comments(1)